青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

生きてるだけで

昔から、過去の記憶を自分の中に置いておくのが苦手だと思っていて(他人と詳しく比較できないので、思い込みにも近い)、何でもいいから毎日文章を残すようにしてきた。覚えていられないのは、日記を書きすぎたせいかもしれない。

連続的に描き続ける日記を始めたのは10歳で、その頃はただ楽しいから書いていた。なんとなく周りの人に自分の話をするのが苦手だなと思ったのには、好きな人の話ばかりするから茶化されて不服(もっと話したいのに腰を折られる)だとか、単発的であまり会話にならないような話のほうが得意だとか、たくさん理由はあった気がする。日記のおかげで自分とうり二つの友達と話せているような気がした。



日記を書くことすらうんざりするような気分が続いて、10日近く、空白の日々が生まれた。ぽつりぽつりとは思い出せるような気がするけど、それは記憶を捏造しているような雰囲気もある。「せめて何かしていた」と思いたくて思考が勝手に日常を作り上げてるような。




息をするように考えてしまうような対象がライフワークになっていくとして、文法は正しくそれなりにまとまった量の文章を書くことはわたしにとってライフワークなんじゃないかと思っていた。好きだし、すぐにできるし。ただ、心が死んでいると日記もかけない。大人になるまで気づかなかったことは、ある意味幸福なことかもしれない。


そんな日は、空想の文章、現実から始まってちょっとずれた着地をするような話を書いてみようかな。自分でいろんな気持ちを工作できるならそれも楽しいだろう。

何かを作っている手順を説明するとか。昨日、過去に購入した雑誌を読んでいて、料理のページは読まない自分に気が付いた。人の部屋を紹介する記事が好きだ。「こんな部屋良いな」「あこがれるな」といういい気持ちの先に、「自分もそうしたい」が無いからかもしれない。本当に、ただどうぶつの森で動物の家を訪れるような感覚で、知らない誰かの家を見ている。楽しい。この人はどこでどんな光を浴びて、雨の日はどこで過ごすんだろう、とか。これはきっとわたしの趣味

「食べることに興味がない」というのは、もう大人なんだから、悲しいなと思う。興味がなくたって1日3度何かを食べているのだから、丁寧に真剣に、何を食べるか考えてみたほうがいいんじゃないか。そうやって興味がないから逃げるなんて!(でも苦手だ食べ物のことを考えること)(きっと一人なら、ずっと同じ味のカレーとか、ずっと同じ味のミートソースとかでいい)(でも、わたしは一人では生きていけない性質の人間だと思い込んでいる)

まあでもそんな感じで、なんか気づいたらその時点でちょっと自分にも変化が起きて、だんだん変わっていくよね。常にいいほうに、いければいいな


ほんとは今日は、"好きで好かれて、でもその作用によって結局人は変わってしまうから、最初に好きだったその人はもういない"って思ってたことについて、書き残しておこうと思ってここに来たんだけど、脱線したのでいつかにする。
久しぶりに、「生きてるだけで、愛。」を読んだ。やっぱり、誰かと一緒にいる、ということはかけがえのないことだ。新潮文庫の解説が好きだという記憶があったんだけど、その通り、仲俣暁生さんの書いたこの本の解説が好きでした。
生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)
(ちなみにこの本を知ったのは、ツイッターのmegane_megane_さんという方の

部屋を片付けてたら、高校時代に男の子からもらった絵葉書が出てきた。裏に「僕にとって○○さんは五千分の一秒です」

というツイートからでした。こんなこと言われる人生、すごいな・・・)



日曜日だから、山下達郎のサンデーソングブック!先週はLove can go the distanceのおうちアカペラが聞けてすごくうれしかった。ステイホームが始まって良かったことの1つは、山下達郎のラジオがステイホーム仕様になったこと。(逃げ恥が再放送していることも!わたし、当時、第2話ちゃんと見てなかったのか、「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉の意味をこのまえ初めて知った)

もう暑くなってきたけど、この曲を聴くと秋や冬を感じる。寒い日の心の温かさを思う。音楽はどこにでも連れてってくれるような気がする、どこかで誰かが歌っていることに思いを馳せれば、勇気が出る。そういう大事なことを、忘れても思い出せるように過ごしたい。