青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

夢にまで出てこないで

よく、夢に出てきちゃうんだよねえ



パンパーズ「ねえ」


どうすりゃいいんだ。

まずはとりあえずわたしもあなたも死んだことにしました。


ダヴィンチ掲載の、穂村弘「短歌ください」に投稿された短歌を思い出す。

死にました。当分君に会えません そう思いこむ生きてゆくため

ぼんやりと過ぎてゆく 憧れの時間

あなたが 好きです

二十歳の恋

Lamp二十歳の恋


〇 △ ▢


この気持ちが何なのか、ぐるぐるぐるぐる(なんと3か月も)考え続けていた。好きって何なのかとか、考えても意味なんてないんだとわかっているのに、考えてた。
結婚した友達が急にアイドルグループに入れ込んでいて、夫以外の愛情の注ぎ方として正しいのだな、と気づいたときに目から鱗が落ちた。韓国ドラマやジャニーズ事務所の男の子たちが人気な理由はそういうことなのか。


そうして2週間くらいがたって、これはもしかして"推し"なのか!!!とひらめいてしまったのが、たった今。推しって別に、遠い存在に対してだけじゃないのかもしれないのだ。

あの人は、友達とも恋人とも言えなくて、その間なのか?と考えたりもしたけど、なんとなくベクトルが違うような気がしていた。それを認めたくない気持ち(恋愛とは別の感情だと思うと、心の支えがなくなるようで悲しかった)と、でもややこしいのは嫌だという気持ち(恋愛は苦手だ)が体の中を渦巻いていた。


そしてそれを解決する「推し」というステージ。


はっ・・・!

始発電車とその次を なんとなく乗り過ごしてみた

夜、建物を出たときに「あぁ春だなあ」と思うようになってきた。
温度計を見たらまだまだ寒いけど、もう氷点下の季節はすぎて、日差しも春みたいな色をしてる。


大学生の春休みのような暮らし方をしている。1日1つ映画を見て、「ひま」って連絡を取って。

でも、なんにも変わってないようで、人は少しずつ変わっていくんだよな、としみじみ感じる。(人に久しぶりに会うという体験がほとんどないせいで、自分がどう変わったのかわからないけど。会いたくない人とは疎遠になるし、会いたい人にはすぐ連絡を取ってしまう。)
この家に来て1年が経ったけど、初めのころはもう少し早く起きていたし、もう少し机の上もきれいだった。


朝あまりに起きれないので、朝しか書いちゃいけないブログをつくってみた。そしたら今日は起きれた。
何日か続けてみます。
よく、タイマーつきのコーヒーメーカーとかの記事を見ると、「あれ使えば朝も起きれるんじゃないか」と思ったりするけど、セットするのが面倒になってやめちゃいそう。そのくらいの怠惰だし、朝起きれない人の大半はそういうレベルなんじゃないかと思う。
そもそも起きれなくてもなんとかなっていることが問題なのかもしれない。

たとえば、いろんな音楽を目覚まし音にしてみたけどどれも効果なかった。大音量でジャズなどが流れていて隣人に迷惑がかかったかもしれない。わたしは心地よかったです。そのまま寝ちゃったけど

よく考えたら、もう8年間くらい、継続的な早起きに失敗している。「毎日、自分が思っている時間に起きる」と言う意味では1度も成功していないのかもしれない。だとしたら全然落ち込む必要なんてないじゃん。


コーヒーも起きて手でいれたほうがきっとおいしいよ(普段朝なかなか起きれないのに久しぶりに起きれた人の感想です)

○△◇


始発電車とその次、なんとなく乗り過ごしたことありますか?この「なんとなく」がなかなか鬼門で、わたしはありません。

好きだった人が好きじゃなくなるまでの間を、始発とその次の電車が通っていくのを見ていたことがある。あれも春だったな。2年近く執着していた相手のことが、急に遠くなった瞬間。金曜の夜が明けて、安いハンバーガーを食べたいと思いながら、あの日は結局どうやって家に帰ったんだっけ?電車を見送っていたときのことしか思い出せない。一緒に座ってみたかったベンチに腰掛けて、あの人が横にいたことがぼんやり頭の中に残っている。その時間に集中していたせいで、表情や話したことさえ思い出せないな。そんなことがあったことを、きっとまた思い出す。それは大体、ひとりで早起きした朝です。

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ハローグッバイ。


思い出に浸ってしまうから、朝早く起きないんだということにしておく。

200227 Thu.

楽しいだけじゃ楽しくないのよね


暇ってなんだろうって考え事をしていた。(それが暇か!)

自分に嘘をついてでも「今日やらないといけないこと」を決めておくことで暇じゃなくなるのかもしれない。絶対にやらないといけないことを決めておく。例えば、こうして日記を書くとか。



暇だととにかく何か食べたくなる。人と話したくなる。どれもあんまりよいことに思えない。とりあえず読む本を1日1冊決めてみる。

手のひらを握った日々の

きわめて個人的なことしか書いていないのにここにアクセスできた人ってなんでなんだろう?
知り合いでしょうか




フェイクファー


時々狂ったように何十回も同じ曲を聴くことがある。POP VIRUSというアルバムが出るまでは長いこと同じ1曲しか選択肢がなかった。明るいのか暗いのかわからない、静かに泣きながらなつかしくて笑っているみたいな曲。

星野源の「肌」も月に2回くらいリピートし続ける日がある。今日ヘッドフォンで真剣に聴いてみて初めて知ったけど、サビのギターはワウワウしてるのよりも静かにピッキングで鳴っている音のほうが色っぽいな。
音楽を作る人って、この音だからこの言葉を乗せようと思うんだろうか。うわセクシー、と思う音にはだいたい良い詞がついている。


幸せの中心にいる男女の曲かと思っていたけど、「手のひらを握った日々の」ということは過去のことなんだろうか?

どんな 近づいても
一つにはなれないから
少しだけ せめて

星野源という人は、「ばらばら」のときからそうした切なさや諦念みたいなものを漂わせているような気がして、心震わされてしまう。どんなに好きでも、完全にはわかりあえない。どんなに大切だと思っていても、完璧には伝えることが出来ない。それでも一緒にいることの尊さのことを思う。

触れ合うと 言葉より
君のことを知れる気がした

ここなんだよなあ、ずるいところ。相手に触れることでわかりあえるなんて、そんなのいつか解けちゃうまやかしだと思います、ずるい人の言うことだ。しかも「気がした」って!でも好きだ、なんか泣きそうになる。だって手をつないだ時のうれしい気持ちや、抱きしめたときの安心感をよく知っているから。でもずるいんだよな、星野源よ。


音楽のことはよくわからないけど、明るくも暗くもないまま終わってしまうから、また聴いてしまう。なんとなく心の中で、眩しがりながら太陽のほうを見てるノースリーブの長い髪の女の人のことを思う。あれは何の写真なんだろう?スピッツのフェイクファーのジャケットかと思ったけどちょっと違った。





相手が変わっても、なんとなく気持ちの起伏とか、刺さってるベクトルみたいなのは種類に限りがあるんじゃないかと思う。その種類自体が、自分が自分だなと思える部分というか、その組み合わせの味わいを楽しんでいるうちに人生が終わってしまえばいいなというか。恋愛とか愛情とか、難しいなと思う。でもみんなに同じように好きというのは嘘になるから相手に失礼なのかもしれない。それぞれの相手に、それぞれの気持ちをきちんと伝えることが誠実なこと?

例えば優しい言葉をかけられても、それ誰かにも言ったことあるでしょ、と思うとすごく悲しい。あれこれ工夫してほしい、なんて傲慢すぎるかな。でもわたしもなるべくオリジナルで頑張るからさ




右手に指輪をはめてみたら、違和感があって新鮮な気持ちになった。外はまだ寒いし、いろいろなことがあるし。いろいろ引き延ばして、だましだまし、春が来るのを待っている。

きみに似合う女の子は、もっと

人との距離が難しいと思い悩んでいた頃もあったけど、今はもう何というか諦め始めていて、傲慢に考えるようになった。相手にどう思われているかなんて考えてもどうしようもない。だから自分がどう考えるかを大切にする。そしてなるべく誰にでも同じように伝わる言葉で話すしかないような気がする。

だからこそ、無意識の言動が驚くくらい理解されて的確に伝わっていたとき、奇跡みたいだなと思う。その瞬間がいとおしい。わかってもらえたこと、自分が認識されていること、同じ気持ちでいてくれること。





篤姫」のメインテーマが好きだ。吉俣良という人が作っていると知って、その人の手掛ける音楽が好きだと気付いた。ランチの女王も、Dr.コトー診療所の音楽も泣き所が似ている気がする。「あぁ自分の好きな音の流れだ・・・」ってわかる。
(ちょっと脱線するけど、篤姫のオープニングはクリムトのモチーフが登場することにさっき気づいた。金色の背景に繊細な装飾。)


この間知ったモリコーネという人の音楽。吉俣良は、モリコーネニューシネマパラダイスサウンドトラックが劇伴の原点だというインタビュー記事を読んだ。
ニュー・シネマ・パラダイス オリジナル・サウンドトラック

美しくて、言葉にすると消えてしまうような美しさだ。その音楽のなかにすでに物語がある。音楽を聴いているときは一人だ。その場に誰かがいても音楽を聴く耳は自分だけのもの。孤独な瞬間。だから、だからこそ、誰かが誰かを愛しているまなざしや、美しい光のことを思い描くことができる。


同じように、映画を見ているときもきっと孤独だ。文章を読んでいるときも、絵や写真を見ているときも。



心地よい孤独を大切にできればいいなと思う。これまでわたしは孤独に弱かった。なんとか取り繕いながらここまできたけれど、よく考えたらいろんな世界に深く潜るにはどれだけ自分と向き合えるか、そうした忍耐力を備えているかが鍵になるんじゃないかと思う。

素敵なものやきれいなものを見てきた。色褪せないまま、頭の中にたくさん残ってる。誰かに見せたいとは思わないけど、せっかくなら自分なりに体の外に出してみたいと思い続けて長い時間がたつ。そろそろきちんと方法を模索する必要がある。



一般論は考えたくない、でもわたしの行動で誰かが傷つくのは避けなくてはならない。だからいまのところは、こっそり活動する。報告もしない。


きみに似合う女の子は、もっとかわいくて常識的な人だと思うな、そうあってほしいんだよな。心の中で祈ってみる。口には出さない。