青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

君の声で僕が歌う

わお!って思ったの久しぶりに。

 

16:28

16:28

 

夕方のどうしようもないさみしさはとても嫌だ。生きているのが嫌になるくらい。でもその時と同じ気持ちを感じる音楽は好きだ。縋りつきたくなる。

 

それで、どうもありがとうと思ったの。

僕の答えをまた用意して

過去の自分を友だちみたいに思いながら生きてる。その曲いいよね、わたしもすき。

 

 

面白いか面白くないかは関係ない、何も起こってなくてもわたしの日常だし、それでも書いておかないと始まらないのが日記かなって。

 

 

めちゃくちゃ好きなもの、というのが特になくて、なんかなにもこだわりがないような気がして。

それもなにも、好きになる程何かを究めてないからなのだと思う。全部ちょっと味見しただけ。何も長く続かないな。

他人がしていて自分がしていないこと、毛嫌いしてること。案外自分でも始めてみたら好きになったりするものだよね。なんかやってみたらいいな。例えば?動画編集とかちゃんとした技術ブログ・レビューブログみたいなのとか、、、

 

 

 

 

答えをすぐにインターネットの中で探してしまう、今日もチャット AIのアプリを入れようと思って探したけど、いやそうじゃなくて自分で考えようよ。と思った…それができないならせめてスマートフォン機内モードにして早く寝よう。

 

忘れられないの

忘れられないの

 

手を伸ばせば 触れたのに

読んだら見たりした後に後悔するような時間を過ごすくらいなら、自分が過去に書いた日記でも読めばいいのでは…

 

と思って7年前の日記を読み漁る。7年、、7年前、、?

 

だんだんぼやけてしまうような恋も、泡になってとけ出す君の影も、手を伸ばしてつかもうとするけど、もう春は終わってしまった。花びらは風に吹かれて、川と共に流れていく。それをそっと見ている。穏やかな心で。さようなら。

新しい風と、新しい季節!

 

目を閉じてゼロから百までやり直す - 青のなかをもぐる

 

 

きっと1人だった。飲みに行く友達は今よりいて、でもなにより、1人で夜道をふらふら歩いて帰る時間が好きだった。

 

固執している人がいた。好意の欠片を並べても、どうしようもなかった。その人にもまた、固執している人がいた。

何が好きだったのか思い出せないくらい好きだったのかな、と、振り向くような気持ちで思い直してみる。最寄駅が近いとか、きっとそんなこと。あとのことは全部頭の中で作り上げてしまえた。それがわたしの記憶の中の片思い。

 

 

何も残らなかったな、と思うけど、胸の痛みや苦味は遡れば取り出せる。いっそ何もない方がよかったかな?

 

Basic (feat. STUTS)

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誰も君を知らない夜明け

眠い頭で「面白いもの」を求めてさまよっている。光る画面の中を。面白さって何かも考えずに。

物足りないから何時間も続けてしまう。






なにか夢をひとつ持ちたい。暮らしていく動機付けに。


最近は、時間が足りないと常に思っていて、そのせいでとにかく瞑想のように思いついた言葉を書き並べていく日記を書くことができなくなっていた。空いた時間は眠りたかった。だけどなかなか寝付けなくて、碌でもない文章をワープし続けるような毎日。蒔く種もないのに穴ばかり掘っているような時間だけ残っていく。



例えば、夜明けのつめたい空気を嬉しく思うこと、からっと晴れた空を見つめること、そういうちょっとした心の安らぎは、どうやって取り戻せばいいんだろう?


でもまずは何より、言葉を探して、綴っていくしかないのかもね。思いついて、好きかどうか精査して、入力してみて、次に進む作業。この瞬間は誰のことも気にしないし、自分の性格も職業も役割も忘れてた、とにかく言葉を置いていく。誰にも知られずにひっそり置いていく。

優しくなりたいな

春の坂道を上っていたら、ふと、わたしが映画を撮るとしたら最初から最後までなんとなく曇り空なんだろうな、ということを考えた。青空の出てこない作品は暗すぎるだろうか。

 

そういうイメージがあるだけかもしれないけど、アメリの空はだいたい曇っているのに明るかったような。現実を考えても、真っ白な空は明るい、明るいのに暗いような気がする曇りの日。文字通り、部屋に光が差すことはないからでしょう

 

 

 

部屋の外にいても、最近は同じ風景しか見ていないから、写真は撮っていない。撮ったらいいのに、と思う。きっといつかなんでもない日のことが懐かしくなるから、そのとき振り返れる場所があるといい。

 

 

たぶん、あるときの感情だけでの言動によって、あとから困惑することがほとんどで、でもそのときはその時がすべてだから、うーん。なんだろう?神の視点?

ま、きっと、ちょっと気をつけるだけのことだよね…おやすみなさい。

 

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女神とかぼちゃ

プレーンヨーグルトを平皿に取り出して、ぱらぱらとドライフルーツをのせる。木のスプーンで一口ずつ掬って、さくっと甘い果肉を宝探しみたいに食べるのが好きです。

あ、このままだと、最後の一口はフルーツがないぞ、とか、そう思っていたらなんと2種類の味がする、とか。そんなささやかな夜の幸せ。誰も知らないわたしの楽しい時間のこと。

 

 

例えば、寝ている時に急に寝室のドアが開いて、人質にされたらどうしよう、とか、ふと思ったりします。子供の頃からの習慣。そんなことあるはずがないから、「どうしよう」で終わってしまって、対策は考えたことがない。窓から逃げる?逃げられなかったら、どう戦おう。呑気に考える。

 

窓から下に飛んでみたらどうなるかな、と布団の中で考えることもあります。嫌なことがあったから、とか何か理由があるわけでもなく、「どうなるかな」と空想を楽しんでいる。毎回、アスファルトに裸足で着地したら痛いだろうなと思っている。着地が成功する確率なんてゼロだろうに……

 

省エネで遊び体力が余っていたのか、いつも眠れなくて泣いている子供だった。大人は夜はこわくないと母親が言って、そんなわけないと思っていた。気づいたら、すっと眠れるようになって、眠りたくないのに寝てしまうようになった。

 

「寝なければならない」という強迫観念で眠れなかったんじゃないかなぁ。思えば園児時代も「食べ切らなければ」というプレッシャーから昼食の時間に泣いていた。

 

ほんとうに「毎日これはやらないと死ぬ」みたいなことはひとつもないと、いつか教えてあげたい。過去に戻れたら過去のわたしに。あとは未来のこどもに。

 

 

いつからか、夜は気づいたら寝る時間になるもので、あぁ夜がずっと続けばいいのにと思っている。終わって欲しい夜も早朝も今のところ見つからない。きっと平和のなかにいる。ずっと、ささやかでいいので幸せが続きますように。祈りながら、できるだけのことはするようにしたい。

 

そろそろ、かぼちゃ食べようと思うけど旬は過ぎてるよね。ときどき目を瞑ると、立派な優しい女の子がかぼちゃを抱きかかえて目を閉じている瞬間が思い浮かぶ。重くて大きなかぼちゃを大切に抱きしめている。そんな残像が一瞬だけ、瞳の奥に現れる。なんだかよくわからないけど、たぶんあれは女神、かぼちゃの女神。なにかを祈る時は、あの女神のもとに祈りが届くように、と思っている、いつも、心のどこかで。

 

ぐりとぐらとすみれちゃん (こどものとも傑作集―ぐりとぐらの絵本)