青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

女神とかぼちゃ

プレーンヨーグルトを平皿に取り出して、ぱらぱらとドライフルーツをのせる。木のスプーンで一口ずつ掬って、さくっと甘い果肉を宝探しみたいに食べるのが好きです。

あ、このままだと、最後の一口はフルーツがないぞ、とか、そう思っていたらなんと2種類の味がする、とか。そんなささやかな夜の幸せ。誰も知らないわたしの楽しい時間のこと。

 

 

例えば、寝ている時に急に寝室のドアが開いて、人質にされたらどうしよう、とか、ふと思ったりします。子供の頃からの習慣。そんなことあるはずがないから、「どうしよう」で終わってしまって、対策は考えたことがない。窓から逃げる?逃げられなかったら、どう戦おう。呑気に考える。

 

窓から下に飛んでみたらどうなるかな、と布団の中で考えることもあります。嫌なことがあったから、とか何か理由があるわけでもなく、「どうなるかな」と空想を楽しんでいる。毎回、アスファルトに裸足で着地したら痛いだろうなと思っている。着地が成功する確率なんてゼロだろうに……

 

省エネで遊び体力が余っていたのか、いつも眠れなくて泣いている子供だった。大人は夜はこわくないと母親が言って、そんなわけないと思っていた。気づいたら、すっと眠れるようになって、眠りたくないのに寝てしまうようになった。

 

「寝なければならない」という強迫観念で眠れなかったんじゃないかなぁ。思えば園児時代も「食べ切らなければ」というプレッシャーから昼食の時間に泣いていた。

 

ほんとうに「毎日これはやらないと死ぬ」みたいなことはひとつもないと、いつか教えてあげたい。過去に戻れたら過去のわたしに。あとは未来のこどもに。

 

 

いつからか、夜は気づいたら寝る時間になるもので、あぁ夜がずっと続けばいいのにと思っている。終わって欲しい夜も早朝も今のところ見つからない。きっと平和のなかにいる。ずっと、ささやかでいいので幸せが続きますように。祈りながら、できるだけのことはするようにしたい。

 

そろそろ、かぼちゃ食べようと思うけど旬は過ぎてるよね。ときどき目を瞑ると、立派な優しい女の子がかぼちゃを抱きかかえて目を閉じている瞬間が思い浮かぶ。重くて大きなかぼちゃを大切に抱きしめている。そんな残像が一瞬だけ、瞳の奥に現れる。なんだかよくわからないけど、たぶんあれは女神、かぼちゃの女神。なにかを祈る時は、あの女神のもとに祈りが届くように、と思っている、いつも、心のどこかで。

 

ぐりとぐらとすみれちゃん (こどものとも傑作集―ぐりとぐらの絵本)