青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

2022-10-01から2022-10-09の日記

長らく文字の入力をしていないので、まずはその練習から。

#2022-10-01-sat.

新しい朝が来た。
正真正銘の、新しい朝。

何がしたい?と自分に問うてみる。そうねぇ、まず今書いている文字があまり好きではないから、どんな書体が好きなのか、ゆっくり書けばそれが書けるのか等々、考えてみたい。

あまりに早く目覚めたので、眠くなってきたから横になりたい。こんなときはインフレーションについてでも読みながら眠くなるのを待ってみましょう…

  集荷を待っている。無職だ…


アルコールというより、人々が酔っているその空間や空気が好きなのだと思う。よく考えると自分が、へべれけになっているのはあまりに無惨。笑



#2022-10-03-mon.

手近だからなのか、今レスポンスが来るような状況と言葉をすぐに取りに行ってしまう。考える前に自分の言葉の確からしさを実感できるからかもしれない。

常に不安だから大丈夫だと思いたくて仕方ないのだろうなと思う。

no art, no lifeの人物たちはみんな自分の世界を自分の言葉で動かしているように見える。それが他人と少し違うせいで、少し苦しいこともあるのかもしれないけど。

"見えますよ"とその人は行って、見えている(ように感じている)のではなくて、本当に見ているのだと思える強さを感じることができた、心がぶるぶると震えた朝のこと。

信じていることの揺るがなさや、揺らいでいるのにその間の結束の強さのことを考えてみる。自分との違いはなんだろうね?

#2022-10-04-tue.

夜のプレイリストは、Frank Sinatra "Point of No Return"。とても贅沢な気分だ…

柿の葉茶がとても美味しい季節。もしかするともっと美味しく飲める器があるのかもしれないけど、プラスチックカップで飲んでも豊かな味だなと思う。あったかくておいしい。

慌ただしい朝に、ミサイルが飛んだという警報がなる。初めて聞いたけど不思議な高音のアラートだった。どうしようもなさを感じる。不安になるのも馬鹿らしいような。為す術もないし。

ありがとうと会えて嬉しかったは日頃から伝えておかなくちゃならないね。

大豆田とわ子は働いているからだいたい場面が夜だ。みんな集まるのは夜。そして、音楽が夜に輝く黄金の泡のように鳴っている。


#2022-10-05-wed.

とにかく眠い時間帯があって、美しい音楽をかけて枕を縦にして寝ることにする。

別れたけど、今でも一緒に生きてると思ってるよ。

坂元裕二の描く物語で、登場人物が言葉を生み出しているのか、状況がその言葉を引き出しているのか。

不思議だけど素敵だ。

胎動が少しずつ下方へ落ち着いてきたような気がします。どんなふうに成長しているところなのかな。お腹の中は苦しくないだろうか。

過ぎてしまえば日々は一瞬の出来事みたいに思える。それこそが、今が幸せなことの証かもしれない、思い出す過去を穏やかな気持ちで受け止めることができるということだ。

日々、毛糸を編み込んでいる。少しの英文を聞き、優しくて鮮やかな音楽を探し求めている。

夜に眠る前、書き留めておきたいことがあったはずだけど、忘れてしまった。眠れずに色々と考えていたさなかのこと。だからこそ忘れてしまう、というのがいつもの決まりになっている。

きっと、無事に出産が済んだら、たくさんの夜明けが来るのだろう、明けない夜はないとしても、苦しくて長い夜はある。眩しくて目も頭も痛む朝もある。

耐え難い痛みがすぎたときに、少しでも穏やかであればいいなと願っている。

世界は絶えず変わり続けるし、良いことも悪いこともずっと同じままでいる訳にはいかないから。何も捨てずに歩いていくのは難しいんだね…

それでもきっと、人は新しく知ることを止められないから、ずっとそれは変わらないかもしれない。



おなかおちついたら、思いっきり走って、ギターをやってみて、うつ伏せで寝る。できなかったことってそのくらい?

いつかワインも飲みたい。ビールやウイスキーや日本酒はそうでもないけど、なんか渋いぶどうの味が恋しいような気がする、ずっとそれが続いている。

苦くておいしいコーヒーも飲みたいな。たくさんの距離を歩いたり山に登ったりもしたい。ゴロゴローって、何周もしたりしたいね(笑)心置きない筋トレとか…体力落ちてて何しても辛くて何もしたくないかもしれないな。

冬は見本林を見に行きたいな。この街は、冬が好きだ、寒い土地であるほど冬は魅力的なものなのだろうか?いろんな街の冬を見たことがないからよくわからない。仙台の冬は雪が少なくて拍子抜けしてしまった。雪国で育つと、雪のない冬は耐え切れないかもしれない。

なんとか健康に生まれてくることを祈るくらいしかできない、精いっぱい自分のことを甘やかしている。

なるべく物を捨てようかな、と考えている。必要なものなんてその時にならないと無いものだからな、というような考え方で。なぜか最近、デパートとイオンに思いを馳せることが多い。結局物欲、ということだろうか…。

あと3回は健診に行けるといいんだけど、でも安全第一で…

・洗剤と化粧水
・洗濯
でだいたい準備は終わり?

祈ることくらいしかもうできないね、体に負担をかけないように、とかね。

#2022-10-08-sat.

昼にパスタを食べよう、ということだけ決めている。その前にヨーグルトも食べようと今決めた。

ストーブの手入れをしてもらってあったまっているので眠い。おなかが重い
少しずつ準備をしているのか、動きが少なくなってきているような。あと2週間くらいゆっくりできると嬉しいけど、こればかりは仕方がないので無事に生まれてきますよう。

ねむいフルートの音ってどうやって出すんだろう。
チャールスロイド(テナーサックス・フルート奏者)

#2022-10-09-sun.

心の中に浮かんでくる、まだ形になる前の何かを紙にのせていく、そこに色をつけていく。そんな時間が誰にも(私にも)あっても良いのではないか。

人に感謝したり、逆に誰からも視線を受けなかったり、でも生きている、その営みのなかに只自分が存在することだけその1点だけがあっても良いような。そもそもそれを良いとか悪いとか言われたり、自分が思ったり、そうしたことを考えることさえない状態のことを思っている。浅ましいのでそんな瞬間が訪れることはないのかもしれない、そしてその時間は誰の目にも自身の記憶にも残らないものだから、けれどもそっと存在しているのだろう、という祈りです。

そもそも存在する、というのは何だろう、物的な存在は光を反射させるから確認できるし触れる場合も多いけれど。

ある絵について、これは誰某が描いたと明らかなときの"存在感"。いないのにいる、とか、(いるのにいない?とか?)ここにはいないけど、どこかにはいる、だとか。

思い出というのははたして存在するべき事柄なのだろうか。記憶とか、懐かしさとか。

そんなこと考えても意味ないか、あるものはあるし、ないものはないし、思い出せるから思い出はあるし、思い出せなければないのだし。と考えてしまってもいいのだけれど。

ただ思い出の作用と同じ働きをするものは思い出といえるのか?みたいなことは気になる。多少、なんとか療法のようなことに近いかもしれないけど…

この風景は見た記憶ないけどなつかしい気がする、というとき、その良いでその景色はもう思い出の中にあるのかもしれない。

とはいえ、何百回も見ていた登校中の山のことをはっきり思い出せない、そうした思い出の曖昧さを含めて、思い出されるもののことがいつでも気にかかる(ある種の主題のような)。

そして、1つふえると1つ減るのかしら。これから増えるであろうに