青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

そんなに好きじゃなかった

溺れるようにお酒飲んでたら、昨日までの悩みがちょっと流れた。

ちょろいので少しでも好意がちらつくと、惑わされる。でもだんだん、それは恋じゃないなと気づいて、最終的にこれは別の悩みだという結論。

あの人だけでなく、会話したくなる異性に対して「この人はわたしが女じゃなかったら、こんなに快く仲良くしてくれないのかもしれないな」という気持ちになる。性別という壁があるから、優しく接してくれるのかもしれないと疑ってしまう。わたしの見てくれは良くないけど、それでもぼんやりと「優しいね」「かわいいね」みたいなずるいことを言われることがあるせいで、信用できない。でも一緒に出来事や愚痴を共有することはとても楽しいから、この関係を諦めたくない。

それとも、わたしが異性に対してどこかで「男の子のほうが話しやすい」と思っているのが大きいのかもしれない。わたしが1番曖昧で、アンフェアだ。

もっとただ人間でいたいのに、と強く思う。わたしの場合はその構成要素として、無意識に「性別」を含めてしまうから苦しくなる。開放されたい。


でも結局、この女の子かわいくてすきだ、という感覚も、この男は優しいな、という感覚も、同じだと思う。自分にそう言い聞かせて安心するためのものでもあるけど。


思い出してみたら、いや、思い出さなくても、わたしのすきで大切な人は、やっぱり一人だけみたいだ。


七夕のおねがい - 青のなかをもぐる

今回はLINEのスタンプがしっくりこなかったから吹っ切れました
そんなに大切だと思ってないことなのに、「なんか思ってたのと違うな〜」ということが受け入れられないだけで、泡ははじける。

苦しみたかったのかな。そんなに好きじゃなかった、。「女ってさ 何なの?」って言われちゃうかな
そんなに好きじゃなかった
Base Ball Bear - そんなに好きじゃなかった - YouTube

あなたの手のひらみたいに

友達がブログを教えてくれて、楽しいなと思ったからわたしも日記書く(わたしは友達に秘密だけど)


今に没頭できてるのは嬉しい。煩悩は邪魔。あれこれ思い出したくないことを思い出したくない。

でも特別でいたいと思う気持ちを手放せない。全然特別扱いされてないし、わたしは偶然そこにいただけだから、悔しくてさらに手放せない。もう忘れてるだろうな。わたしも早く忘れないと


3連休で大学生に戻り、明けてみたら更にさかのぼって中学生くらいに戻った。中3のころ、「逃した魚」というアルバムに衝撃を受けた。恋人もできず、出会いも別れも知らなかったけど、苦しさだけは想像できた。苦しいなんてエゴだなと思う。だから誰にも言わないように気をつける。だけど誰かに聞いてほしい気持ちになる。ぐっとこらえる。せめて泣かないようにしよう

春を歌にして


あまりに幼き日々のモードが消えなかったら、好きな歌について延々書くとか、そういうことしようかな。その時の一曲目はback numberの「春を歌にして」

考えることはただひとつ

3年ほど前は、他にすることが見つからなくて恋と泡のことばかり考えていた。



この数日はその頃に戻ったみたいだった。あなたとわたし、ではなくて、どきどきするような事をしてきた相手と自分という関係に心が溺れるだけで、何も残らないからむなしい。夢見てるだけでお腹いっぱいになればいいのに。あの人はわたしを好きなわけではないし、わたしもあの人が好きなわけではない。考えるほどそれが明らかなのに、なぜか浮ついた気になってしまうから悔しい。なんて愚かだろうなと思う



仕事の合間に思い出すのがこんなことばっかりだと、明日から気が滅入りそう。もっときれいな空が見たいとか、そういうことで心がざわつきたいなぁ



一瞬でも思い出は思い出。永遠に幼いから定期的に恋と泡が身を滅ぼしにくる。アルコール周辺で無茶しすぎ。ほんとに全部記憶からなくなったらいいのに。

戦ったら力で勝てる、とかわけわかんないこと言ってましたね、当たり前じゃん。わたしだって体重軽くないから簡単には負けないけど。さみしいし辛いこともあるよね。ってわたしが慰める感じの体勢、お互いに苦しかったね。ほんとはわたしが君を好きならいいはずなのに



素敵なもの身に着けてましたね。けっこう、好みでした。次会うのはきっと心の中です

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秦基博の「恋の奴隷」って、改めて美しいメロディ。でもすごいこと歌ってんなあ。あの人はどこか色っぽくて、わたしはいつもちょっと困ってました。恋は始まっても終わってもいないけど。またね。

意味など求めないで

夜が好き
仕事は仕事と思うと、仕事の日は仕事の日と心から決まってしまう。そうすると朝は起きられないので、やるべきことは夜にしておくこと



きょうだいが勉強中に覚えられない単語を自分のリズムで呟いている。日本語であることは確かなのに聞いたこともない言葉を何度も口に出すから、全てカタカナで聞こえる。

聞いたことのない単語にも、必ず由来を探してしまうけど、結局人間の口から出てるから、始まりは音の感じでしかないんだろうな。


使う偽名をいくつか決めている。しっくりくる名前ってあるよね。なぜかわからないけど、心の中で唱えてみて、ちょうどいい名字と名前。それは本当に単なる記号だけど。


文字としていい名前だ、と思う名前もある。
星野源とか、深田恭子とか、川栄李奈とか、わたしの中ではきれいな並び。




そういえば、何も予定がない日の朝も好きだ。この世の誰のカレンダーにも自分が存在していない感覚。透明人間みたいに。その瞬間だけは、名前も何もないまま笑っていられる気がする。

似合う洋服

いろんなお店で好きな形、好きな色、好きな生地の洋服を探して、何度も試着をしたけど結局ひとつも似合わなかった。たくさんの服を見れて至福の時間だったけど、実体はなくてちょっとむなしい。


母が試着するのを遠目で見るとなんでも似合っているように見えた。鏡にうつる自分を見て似合わないと思っていただけなのかもしれない。近すぎて見えなくなったりするね。今度は恋人と行ってみようかな。
とりあえず体幹レーニングを再開。


朝におばあちゃんドラマーがニューオリンズに行く番組を見た。夜にエベレスト登頂が叶わないまま亡くなった男についての番組を見た。

昨日まで、長生きしたいともしたくないとも思わなくて、生きてる長さはどうでもいいと思っていたんだけど、更によくわからなくなっちゃったな。きっと明日からは生き死にのことは忘れて、目の前の仕事や課題に追われるのだろうな。わたしはよしあしを考えない。考えるほど心に余裕がないから、良いイメージや美しいものだけ頭に入れて、すぐに取り出せるようにしておくことに決めた。

何もすることがないと思ったら、花の図鑑を作ってみたい。社会の仕組みや展望や可能性のことをもっと知りたい。いろんな分類を見てみたい。どんなものに惹かれるのか、追求してみたい。





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土曜日の気分の日曜日

師走の前に見た、ボヘミアンラプソディをもう一度見たい。
映画館で見たい映画というものがあるな、と思った。 映画って、あんなに時間と労力とお金がかかってるのに、一瞬しか映画館で見られなくてもったいない。その刹那性が映画の素晴らしさなのかもしれない、とも思うけど


映画とテレビドラマの異なる大きな性質として、視聴者の立場の違いがある。冷蔵庫とそのノイズ音だけを流していても画になるのが映画で、それに耐えられないのがテレビというようなニュアンスのことを、山田太一が言っていたそうだ。



物語も表現も頭の中で構成している間は自由だ。次の瞬間にどんな映像がきてもいい。
そう考えると映画のなかで、わたしは「次のカットはそれ以外ありえない」という表現に心が震える。
いろんな選択肢にいつも悩んでいる。わたしは歳を重ねるほど小賢しくなって、その中からひとつを選ぶときに自分を納得させるのがうまくなった。決まったことに対して、気持ちを無視して優位点を挙げるのが得意だ。それに気づくとうんざりするので気づかないように前に進む。
だからこそ、「こうでなければならなかった」とか、「それ以外考えられない」という選択肢に魅了されてしまう。客観的な目は塞がれて、滑稽だなあと指摘する自分もいなくなるほどに。



そんな映画をこれからも見たい



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いつか気になってることを調べたいけど、今は時間がないから後で。と思うことがたくさんある。きっといろんなことがタイミングによって決まる。努力の延長に機が熟してほしいと祈る。わたしはもう少しなにかに注力したほうがいいなと思った。ばかにされるくらいのめり込むのも悪くないはず。心のなかの、何が邪魔してるんだろう?



ぶどうのお酒で体が温まったので、詳しいことは明日考えようっと。。凡人はすぐ死なないはず!




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