青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

土曜日の気分の日曜日

師走の前に見た、ボヘミアンラプソディをもう一度見たい。
映画館で見たい映画というものがあるな、と思った。 映画って、あんなに時間と労力とお金がかかってるのに、一瞬しか映画館で見られなくてもったいない。その刹那性が映画の素晴らしさなのかもしれない、とも思うけど


映画とテレビドラマの異なる大きな性質として、視聴者の立場の違いがある。冷蔵庫とそのノイズ音だけを流していても画になるのが映画で、それに耐えられないのがテレビというようなニュアンスのことを、山田太一が言っていたそうだ。



物語も表現も頭の中で構成している間は自由だ。次の瞬間にどんな映像がきてもいい。
そう考えると映画のなかで、わたしは「次のカットはそれ以外ありえない」という表現に心が震える。
いろんな選択肢にいつも悩んでいる。わたしは歳を重ねるほど小賢しくなって、その中からひとつを選ぶときに自分を納得させるのがうまくなった。決まったことに対して、気持ちを無視して優位点を挙げるのが得意だ。それに気づくとうんざりするので気づかないように前に進む。
だからこそ、「こうでなければならなかった」とか、「それ以外考えられない」という選択肢に魅了されてしまう。客観的な目は塞がれて、滑稽だなあと指摘する自分もいなくなるほどに。



そんな映画をこれからも見たい



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いつか気になってることを調べたいけど、今は時間がないから後で。と思うことがたくさんある。きっといろんなことがタイミングによって決まる。努力の延長に機が熟してほしいと祈る。わたしはもう少しなにかに注力したほうがいいなと思った。ばかにされるくらいのめり込むのも悪くないはず。心のなかの、何が邪魔してるんだろう?



ぶどうのお酒で体が温まったので、詳しいことは明日考えようっと。。凡人はすぐ死なないはず!




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