青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

同じ夢の中に

もしもし。


よく、変わった友達が多いと言われるが、わたしが脚色して話をしているせいかもしれない。きっとわたし自体がおかしい。


街は暖かくなり、日差しも眩しい。家から出ないでいると毎日が日曜日みたいな気分だ。家の周りの床屋も閉じている。ショートボブが持続できなくなり、だんだん横に広がっていくようになった。なぜか昼間にクレヨンしんちゃんがやっていて、「わたしこのままだと、みさえみたいな髪型になっちゃうかも」と思ったりする。それくらいのくすぐったい笑いを一人で繰り広げ続ける毎日!もう3か月くらいこんな感じな気がする(仕事で人に会ったりする機会はあったはずなんだけど、もう記憶のかなた)


だいぶ久しぶりにここに来たけど生きています。


〇 △ ▢



人の日記を、「自分だけが読んでいる」という感覚のままで読んでいることが好きだった。この人のことわたしだけが知ってる、この人の気持ちが(わからないようで)わかるのはわたしだけ。というような感覚。
今はどんなプラットフォームにもランキングのようなものがあり、日本中の面白い文章を読むことが手軽になった。様々な人が見ることを選んだ内容はもちろん面白い。ただ、自分だけという特別な気持ちにはなれなくて、わたしはその度に遠くにいる誰かを思う。


この長い連休はどこにも行けず、何をしていいかもわからなくなってきて、過去の日記を読み返している。すべて過去の自分が書き記した日記。そのどれも、誰かに恋い焦がれて何かに悩みながら言葉を選んで並べていた。そこには自分しかいないはずなのに、いろいろな気持ちをもう忘れていて、誰かの日記を隠れ読んでいるような懐かしさがあった。日記を書くことは時間がかかるので、そんなふうに時間を費やしていてよかったと言い切れない部分もあるけど、なんとなく穏やかな気持ちになったので不思議。


何度か、わたしは坂元裕二の書いた会話を自分の日記の中に書き写していた。

坂元裕二の書く会話や手紙は、小さな宇宙のようで、私的で、そのせいで心が震える。別の言葉やエピソードを、わたしはわたしの景色を、そこに重ね合わせてしまうからだ。好きな人とする好きなものの話も、恋をした相手を思う時の気持ちも、自分だけのものじゃなくなって、優しく舞うようなイメージ。



かけがえのない時間を共有するほど、自分を大切にすることと同じように、相手がいとおしくなる。だからこそ、もう会えないとわかっているとき、映画をみるのかもしれない。映画の中では、会えるような気がする。


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何の変哲もない海を、また見たいです。かなうならば、一緒に。