青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

京都に行った大学生

みんなの日常の間を縫うように、わたしは非日常を過ごす。


3度目にして初めて四つ葉タクシーを見かけました。三つ葉と三つ葉に挟まれて、あっけなく通り過ぎた幸運。でも誰にとっても幸せってそんなものだ、虹の中にいると虹が見えないしね。(でも虹の中で虹に気付かずに笑って手を振る、そんな人になりたいと願う)



ダ・ヴィンチの、オードリー若林の連載が本当に好きで、写真に撮って思い出したとき何度も読み返すくらい好きなのだけれど、その中の1つに「一人で会話してるから一人でいることが苦にならない」という回がある。それを読んだときに目から鱗が落ちたと同時に、ものすごく安心した。なんとなく、若林さんは、人生に周期があるとして、わたしの1周先くらいのところにいると思うのだ。(もしかすると気づいてないだけで5周以上先にいるのかもしれない。おこがましい話ですが)
一人で会話をし、自分の感情を分解し続ける。更に掘り下げて、やりすぎて楽しかったことが悲しいことになったりする(だいたいは負の感情への変化)。でも全部ひとりだからそんなにダメージはない。一人で会話をして一人だけで違うステージに進んでいたりするからときどき困る。


わたしは本当に行きたい大学には行けなかったのだけれど(そしてそのことはわたしの人生にとってとても大きなことだったのだと今更ながら思うのだけれど)、そのとき「どこにいてもわたしは変わらない」と強く思ったのだった。それは何年過ぎても、いろんな場所に行ってみても、変わらない考えだった。でも、一緒にいるひとによって、わたしは変わる。それを遡れば、場所によって出会う人は違うのだ。だから結局のところ、どこにいるかは結構大事な要素なのかも。



旅行中は、星野源さんのweek endが一部YouTubeに上がったのでそれを見たくらいで、ほとんど音楽を聴かなかった。


ないと困るものは、音楽くらいかと思っていたけれど、そんなことなかった。きっとなにもなくても、思い出くらいで人は生きていける。食べてはいけないけれど。



赤が優しくてびっくりしました。