ひとつの結論が出たので、書き記しておこうとおもいました。
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どうして人を傷つけたり、人から嫌われるようなことを言ってしまうのか、というのは人と関わる上でのわたしの最大の悩みで、天邪鬼なのかなんなのかわからないけれど本当の気持ちに反して行動してしまうので手におえない性質のひとつでした。というか、今だってそれは変わらないのだけれど、でも、初めに言ったとおり、ひとつの結論が出ました。
わたしは臆病で自分に全く自信が持てないので、他人を遠ざけたり、迷惑をかけることで、人との距離を測ったり、どれくらい自分をさらけ出しても構わないかを推し量ってるんだな。
「月光の囁き」、見たいなって思っていてやっと見れた映画。わたしの解釈が、正しいとか違うとかに関わらず、わたしは共感したし冷めた目で見たしもどかしかったし尊敬したし興奮したし首をひねったしうっとりした。その全部の気持ちは嘘じゃない。この話がフィクションだとしても、これはわたしの一部だし、誰かの一部分だし、もしくは誰かの話そのものなのだろう。
中学生のときに読んだと思うのだけれど、「でかい月だな」、話の内容は全く覚えていなくて、でも、たぶんなんだけれど、登場人物のお姉さんが「あの子は大切なものほど壊そうとするのよ」みたいなことを言っていた気がする。この言葉が、ずっとずっとわたしの心の奥で引っかかっていた。大切だから壊すなんておかしい。でも、他人に壊されるくらいなら自分で壊そうと思う、ってこと?なにそれ、わかんないけどなにそれ、意味深長。
10年くらい経って、大切なものを自分で壊してしまう苦しみや快感もわかるような気がするし、わけがわからない気もしている。「普通に」大事にできない絶望感も、衝動や、罪深さも感じられる。
でもわたしも、他人を傷つけて、自分も傷ついて、そういうふうにしか、人と関われないときがあって、途方にくれる。「神様が間違った」って思えればいいのに。
ふつう、傷つけられたら嫌いになるし関わりたくないじゃん。わたしは、嫌なことされたらやだなっておもうよ。そんなお人よしじゃないもの。
だけど、どうしたって求めてしまう、どんなにぶつかっても倒れないでわたしを見つけてくれる誰か。その誰かはおそらく永遠に誰かなのだろう。人間は一対一で向かいあわないと、苦しいだけだから。名前で、指名しないと。でもそれはもっと苦しくて、「誰か、」と呼び続けるのかな、わたしはこのままずっと。誰かは誰かのまま「はい」と返事をするのだろうか。
相手を知りたくて、相手に自分のこと知って欲しい、なんて純粋な気持ちは、いつからか持つことができなくなって、ふらふら、自分の輪郭を眩ませつづける。ゆれているからきっと消耗もしなくて、これはずっとなんだ。
わたしも運命がほしくて、でも、手にしたものは手にした途端に運命からは遠ざかる気がする。このまま大人になれないで、ちょっと泣いたり笑ったりして、嘘のままで、たどり着けるんだろうか、どこかに。
何かになったり、何かを成し遂げたり、そんなことしたいとおもえなくて、わたしはこの時間に溶けてなくなりたいし自分がなくなることだけを考えている。自我に押しつぶされる自我。自分なんて探さなくたってずっとここに、邪魔なほどはっきりとあって、見えないのに存在していて、困る。死にたい、とかそんな簡単なことではないのです。なにもなくなる、なんてこと絶対無理なのに、願ってる。困りながら、相手を困らせて、相手を際立たそうとする。相手に押しつぶされて、自分が見えなくなればいい。
ぜんぶ、ひとつの結論。これは今日のわたしの、ひとつの結論。