青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

開けたね2016

年の瀬ギリギリに滑り込んできたニュースのせいで、2015年という年にあまり良いイメージがない。12月26日以前も特段幸せな訳ではなかったはずなのに、いまは猛烈に、何も明るみに出ていなかった頃に憧れている。



あけましておめでとうございます。



去年も例年同様、恋ばかりしていた。
結局わたしが過去を振り返って絞り出せるコメントとしては、それしかないのかもしれない。すぐ、ひとを好きになってしまう。執着しながら生きるのは楽だから、流されるままだ。


そろそろ、もう大人なので「ひとに関心を持たれることがこわい」とか言わずに生きたいな、と思うのです。人から愛され、その人を大事にしたりしたい。どうしてうまくできないんだろう。
気まぐれで好きだと言ってみたり、嫌になって風のように逃げてみたり、何なんすかね。ほんとに。




年越しは「あーもうなんか2015年マジで超やだ」みたいな気分になり、一人で初詣の列に並んで過ごした。街のはずれの神社に妙齢の女が一人でいるのは奇妙な様で、酷く視線を浴びた。ユニクロのパジャマの上に膨らんだモッズコートを羽織っていたせいかもしれない。
とにかくわたしはその場でちぐはぐな存在だった。しかし、紅白終了後に猛ダッシュで向かったので変な高揚感があり、孤独に殺されはしなかった。

田舎の神社には何故だか働き盛りという言葉に当てはまるような男性二人組が多く、不思議な気持ちと安心感に満ちた状態で新年を迎えることができた。

さて、神前でなにを祈るべきなのか。幸せの在り方が揺るぎ続けている今、「幸せになれますように」、なんて時間の無駄だ。「去年もお世話になりました」というのも神様には偽善振りが伝わってしまうだろう。

ふと我に返った時、何よりもわたしを傷付けたのは、ヤンキーカップルの「今年も愛してるよ」でも子供のはしゃぐ声でもなく、後ろにいる初老の男性が妻と思しき女性に言った「寒くない?」だった。

あぁ、わたしに足りないのはこれだ…

誰かを本気で思いやることも、家族以外の誰かからの温かい気遣いも、苦手だと叫びながら遠ざけてきたことなのだ。
それが、ものすごく恋しい。眩しくて仕方なくて涙がでそうになる。




わたしは0か100かばかり考えているせいか、四六時中100%好きでいられないと恋人同士になれないとか考えてる。





もうちょっと柔軟で軽い一年に出来ますように〜!




紅白の星野源さん。SUNを歌いながら涙を浮かべていて、胸が締め付けられた。辛い時期を乗り越えて今がある人。


わたしたちも、いつかまた笑いたいね。遠くても。