青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

いつか

おわった!一応ぜんぶ。



生きていくほど、周りと比較なんて出来なくなっていく。個人として生きていくしかなくなる。




あんなに人を好きになってばかりいたのに、いろんなことが終わったり、好きな洋服を買ったり、友だちと遊ぶ予定をカレンダーに書き込んだりしていると、どんどん空っぽになって、恋焦がれる想いも忘れてしまうみたいだ。びっくりした。

たりない気持ちを、言葉や、きれいなものや恋や泡で紛らわせていたんだな、と改めて思う。



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中学生のとき、友だちが音楽室で弾いてくれた曲。タイトルだけ覚えていて、今日ふと思い出した。その子はやわらかい空気をまとっていて、「恋愛」みたいなものとは遠いところにいて、ひらがなの「すき」という気持ちを大切にしているような、素敵なひとだった。(後で気づいたけれど、どこか女優の夏帆ちゃんに似ていた。透明感だとか)


わたしはどちらかといえば味が濃くて、相手にとても好かれるかすごく嫌われるかみたいな生き物だったから(いまがどうかはわからない。いつだって今のことはわからない)、ただ「いいひとだね」って言って忘れられて死にたいなとおもってた。それと同時に、自分がどうしようもないくらいすきなもの(人)が存在していればそれだけで生きていけるなとおもってた。

でもやっぱりそんなことないなって最近思う。誰かに笑ってほしいし、話したいし、好きなものやすきじゃないものの事言い合ったりしたい。結局、どこにいるかや何を食べているかにはあんまり興味がないままだけれど。そんな日までの充電期間にしたい。そりゃもちろん、二ヶ月間いろんなひととたくさん遊ぶんだけどね



サイダーの庭
スカートのサイダーの庭。
買ったばかりのころに聞いていた印象とはまた変わっている。音楽の聞き方が変わってきているのかもしれない。いろんな楽器の音が、すごく鮮明に聞こえてくるようになった。だから、声質に更に執着するようにもなった。ちょうどよい長さで、ちょうどよい色合いで、どんな季節でもどんな時間帯でも、微笑んでしまうような一枚。
そういえば、28連勤でアルバイトをしたりしていたころ、よくSoundCloudで「すみか」を聞いて歩いていたな。CD収録のものよりも、ドラムの出だしがやわらかいところが好きだ。




4年の集大成としてメールの受信ボックスを整理してみたら、自分発信のメールはすべてどこか甘ったるい感じがした。そもそもひらがなが多い。わたしはひらがながとても好きで、だから他の言語に興味がないくらいなのだ。どの国の文字よりもひらがなはかわいいと思う。でも馬鹿みたいだからこれからは多用を避けたい。わかりやすい媚びなどではないのだけれど、他人に好かれたがっているのがばればれで、赤面した。なんなんだわたし。


一緒にいて物事がうまくいくひとと、そうでないひとがいて、それは双方に問題があるわけでもなく、相性の問題ですよって、割り切りながらいきていく。でも、みんなとうまくやれたらいいな。等しく。


生きてる限り終わりはなくて、ずっと続く感覚は残っていくんだろうな。でもそんなにだらだらしてたらつまらないから、「ここ!」ってまたスタートテープ作って新しくはじめたりしようかなあ。







「いつか」のあとにはどんな言葉が続くはずだったんだろう。さよなら旧い自分。ありがとうね。