青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

ちゃんとしてる?

ちゃんとしたいな、とか思ってたけど、なんかよくわかんなくなってきちゃった。


ayU tokiOのアルバム、つぎの春頃って言ってたけど、まだかなー楽しみだ~!

恋する団地

最近ほんとうに、いろんな音が聞こえるようになって、とても楽しいのだ。いろんなことをポジティブにとらえられる余裕も少しはある。会いたい人にあえるとうれしいし、自分の気持ちがわかったり、それを「まちがいのない」言葉で表せたりして、幸せだ。なにが幸福かわからなくて笑うと、やっぱりなんとなく楽しいので、わたしは ばかみたいにずっと笑う。笑ってみたら、それが楽しいのだ。言い聞かせて生きていくみたいに。わたしはそういう人間みたいです。




なにか言葉をおくると、だいたい好きな言葉が返ってくる。もはや、好きな人の言葉だから好きなのか、言葉が好きだということも含めて好きになっているのか、わからなくてくらくらする。素敵だ。もしどこか遠くに行ってしまっても、心のどこかから掬って光に当てたりしてうっとりするだろうな、と予想している。上質なアイスクリームみたいに?エメラルドグリーンの湖みたいに?




当たり前なのだけれど、ひとそれぞれに対して、接し方が変わる。それが不平等だと思ったこともあったけれど、むしろそれが平等ということなのかもしれない。信念や挫折や好みはひとそれぞれなのだから、相手によって自分が変化していくことは非常に自然で、だからまたわたしは笑ってみたりして、そんなものかと、口に出す。

そんなふうにして、生活は進んでいく。いろんな人にあったり、会わなくなったりしながら。でも、あのひとはいま元気かなぁって思ってたら、昨日急に道端で会っちゃった。1年ぶりくらいに。律儀に、ヘッドホンを外して「ひさしぶりだね」って。うれしくてたまらなかった。もうあわないのかもしれないけれど。「あえて嬉しかったです」と連絡を取れば何かが変わるのかもしれないけれど、そっと布団にもぐって眠ることにした。その境目は、衝動という言葉でしか表せない。不思議なことに、それはひとそれぞれ、というわけではないのだ。そしてそれがまた、わたしという人間だ。どうか元気で。





自分のことすらうまく決められない。というより、自分のことだから決められないのか。そうね。

じゃあ、こういうことにしようかな。髪が短いのと長いの、どっちが好みですか。なんとなく、そんなにきみに興味ないよという気持ちをうまく「好きな人が似合う髪形が好き」みたいな言葉に変換されてしまいそうだな。わかっていても喜んでしまうとおもうんだけど。