青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

輝きはもどらない

カバーの聞き方ってむずかしいのですよね。
今日もまた夜更かし一考。



荒井由美さんの「翳りゆく部屋」
翳りゆく部屋 [EPレコード 7inch]


イントロのパイプオルガンとコーラスのせいか、厳かな雰囲気を感じつつも歌自体は少し淡々としていて、「別れ」という言葉がなくても夕暮れ時のような切なさがある。
淡々としてるからこそ、「どんな運命が〜」が悲劇的に響いてくる気がする。さらに「輝きはもどらない」の最後のディミニッシュコードのところ。荒井由美というひとは、コードによって自然な違和感をつくるのがうまい。全体的に諦めてる感じがするというか、受け入れているんだよなぁ。
なのに、その次にくる言葉が「わたしが今死んでも」なのすごい。(偉大だ…)「わたしが死んでもあの日々は戻ってこないのね」ってことだと思うんだけど。最後のサビのリフレインからの、アウトロがフェードアウトするところがまたやるせないです。いちばんの泣きどころはここなのではないか。アウトロでようやく事態を理解出来ているような感じがする。そう考えると、サビ以外の情景描写が丁寧なのも、客観的視点で別れを捉えているせいなのではないか。
そんなことで、全体的に音も歌詞も等身大の、ひとりの女の子としての表現(とても個人的な曲)という雰囲気がある。たぶんこの女の子はこっそりノートに日記を書いているような子だとおもう。というのは蛇足です。





椎名林檎さんの「翳りゆく部屋」のカバー。

イントロはなくて、ギターの弾き語りの感じで始まるんだけど、だんだんホーンやストリングスが入ってきて、賑やかな印象。物悲しい感じじゃないんだけど、Aメロのひとつめの後ですぐにはAメロふたつめに行かないじゃん?(半音下降のターンみたいのがはいる。超好きな形)それが象徴してるというと言い過ぎかもしれないけど、椎名さんのカバーは少し離れたところに視点がある感じがするアレンジになってる。哀しみが、遠い目をしている。
椎名さんの歌い方(泣き叫んでいるような)とギターの音によって、サビはこの女の人、死んでしまうんじゃないかって気がする。たとえば、サビのリフレインはちょっと優しいところから始まるでしょ?それが女の人の持ってるヒステリックさに似てて。「わたしが今死んでも」で終わって、イントロもなかったけどアウトロもなし。これ、このひと死ぬよね。死ぬ感じ出てるよね。
このひとは日記を書いてるかもしれないけど、広く公開してると思う。フェイスブックとかに別れてから「ありがと。楽しかった。」みたいな別れを匂わせる感じのこと書いて、親友が「大丈夫?」ってコメントするみたいな。(ごめんなさい、フェイスブックとかやったことないんで完全に偏見だし、個人的な妄想です。)ディスってるんじゃないけど、わたし自身がちゃんと失恋やお別れをしたことがないので、こんな表現になってしまいます。(各所?に申し訳なさ)




エレファントカシマシの「翳りゆく部屋」のカバー。

僕らの音楽で演奏してたやつをずっとずっと聞いてる。YouTubeのものなので草𦿶さんの口上みたいのが入っていて、「宮本さんは、泣きたい時によくこの曲を聞いていたそうです」とのこと。


もうなんといっても。歌い方がうまいんだよなぁ。素人目にもわかる、「うまい〜」って唸ってしまうかんじのうまさ。フレーズごとに盛り下げるのが本当に効果的。


アレンジのことにも触れてみたいんだけれど、それよりなにより、やっぱり宮本浩次という人の歌はものすごい。すごすぎる。人生や魂や命や表現や情熱という言葉のもつ意味を全部集めても、この人の歌をうまく形容できない。



歌ってるのが女性でないからなのか、宮本さんだからなのかは判断がつかないのだけれど、「輝きはもどらない」の“輝き“のなかみが、前述の二人とはちょっと違うんだよな。そんな感じがする、というくらいで、これもうまく説明出来ないしわからない。なんだろうな。ちょっと考えなしに書いてみるからまとまらないとおもうんだけど、原曲では「輝きはもどらない」はもう失われてしまった日々(過去の中にはあって、今はなくて、取り出せない、過去の中にはずっとある)という感じがして。でもエレカシのカバーでは、輝きとは持続しているもので、霧みたいな…今はないというところでは同じなんだけど……原曲の輝きは、過去っていうケースに入っている感じ、エレカシのカバーの輝きはきらきら空気のなかに溶けてしまった感じ。!ここまで考えておいて言うことではないかもしれないけど、このイメージの差に、意味があるのかはわからないです(笑)もしかすると、女の人のもつ輝きは宝石みたいに実際に物理的なもので、男の人のもつ輝きは夢や光みたいな形のないものという意識があるのかもしれない。ていうか、そうだ。
その形のなさによるのかよらないのか、宮本さんの歌う「翳りゆく部屋」は優しい感じがするのだ。ただの喪失感じゃない。(友達の女の子が彼氏と別れて「時間とお金返せ」って言ってたのがわたしのなかでは大きくて、やっぱり女のひとはそういう現実的な喪失感をもっているんじゃないかと思ってる)


宮本さんというひとは歌と愛でいっぱいなのがすごくわかってしまう。そんな気がして、だからどの曲を聞いても「好きだ」と思うと同時に、少し辛い。「普通に幸せになってほしい」と「わたしはこのひとになれないし、近づけないのかも」って思ってしまって辛い。


STARTING OVER

アルバムにも収録されているので、本当に思い入れのある曲なのでしょう。この曲を聞いて、何を思って泣いていたんだろう。






長くなったけど、すごい曲だ。そして恐るべし、松任谷由実YouTubeには、スターダストレビュー安藤裕子さんのカバーもありました。







もうわたしはできればブログを書きたくない。でも書き始めてしまう。



小学生や中学生のころは、詩を書いたりしていて、その頃の方が今より大人だった。もうわたしは詩のようなものを書くことができないと思うのだ。日々のことしか書けないんじゃないかと思う。



でも書くことばかりしていて、最近その「日々」がなくなっているのです。良くない。



もちろんこれからも文章をつらつら書く、書いてしまうとは思うのだけれど、どうにか、日々を日々として、生活の積み重ねとして、成立させてください。




今日はおわり。