寂しさや行き場のない気持ちをそのまま言葉にしても何もかわらないから、嘘の物語にでもしようかな
歌をうたうのもいいかな。でもできれば詞のない、音の重なりがいいなと思う。
寂しさや行き場のない気持ちをそのまま言葉にしても何もかわらないから、嘘の物語にでもしようかな
歌をうたうのもいいかな。でもできれば詞のない、音の重なりがいいなと思う。
歯が生えてきた。びっくりした。
来ないはずの連絡を待つのも悪くないよね。
この幸せが あなたの幸せであること
この悲しみが あなたの悲しみであること
毎回、というほどでもないけど、朝のドラマのヒロインの相手役にすぐハマる(またこの季節がやってきた…)。困ったものだ。
「スカーレット」に出てくる十代田さんにもハマっている。顔が好きかと思ったけど、それだけではなくて、むしろ髪型や洋服、声や視線だなと気づいた。無印良品みたいな洋服を着て(ネイティブ無印人か)、そしてあの口元のほくろ!目を細めているときの表情も好きだ。演じている松下洸平さん、朝マックのCM(2013)のサラリーマンってご存知でしたか?
『青山美郷』 マクドナルド CM 朝マック 早起きの女の子が可愛いと話題でまとめ【男性は松下洸平】 - NAVER まとめ
6年越しに会えたね。!という正直な気持ちをここで放出しておきます。家帰ってこの人いたらいいなって、朝練に忙殺されながら学生時代に思ったりしてました。
個人的には緒方直人さん、萩原聖人さんにもちょっと似てるなと思います。顔がファンです。
告白シーンで、「離さへん」と言ったところはかっこよかった。奇しくも?、スピッツのスカーレットは「離さない」から始まるなぁと思って、今日はフェイクファーばかり聞いている。
顔が好き、と言うのは勘違いされがちだし、中身は?と思ってしまう。でもとりわけわたしは好きな人に対して「顔が好きだ」と言いがちだ。
遠くの憧れの人は置いといて、身近の人の顔が好きというのはどういうことなんだろうって考えてみて、本当に厳密に言えば、顔「も」好き、のほうが正しいんだと思った。いろいろ好きなところ考えてみた結果、はっきり言えるのは「君の顔が好きだ」ってことなんだろうなと思う。性格も仕草も好きだけど、それって局面によっては時々変わったりするでしょう。でも顔は(ほとんど)変わらない。これだけはたしかに言える、という気持ちなのかもしれない。だから信じてほしいんだけど、誠実な気持ちです。
夢みがちなくせして、手のひらの中には真実だけなんて。ちょっと真面目すぎるかな。もう少し適当に楽しむのもいいのかもしれないね。
急に朝起きたら他人の人生を生きていくことになったみたいに。
もう11月も過ぎてしまいますね。わたしの街は、雪が降って、積もったり溶けたり積もったりです。
いつだって雪が積もると嬉しいです、湿った雪。洋服やバッグに積もると濡れてしまい、落ち込むこともあるけど、湿った雪の上を歩くのが好きだ。ゆっくり歩いているみたいな気分になる。
寒い日の夜は空がきれいなことが多い。
最近、長く悩むような難解なことに触れていないな、と気づいた。問題は転がっているけど、いろんなことに真剣に向き合っていないだけかもしれない。体力がないせいで、向き合う余裕がなくなってきている気がする。
ちょっと気持ち悪かったり、毒のある表現が好きだ。でもそのかげんも、ちょっとでいい。それ以上は受け入れられないというか、自分の中で咀嚼できなくなってしまうから。
ピアノソロのジャズをよく聞いている。一度潜ると、他の音楽が疲れてしまい聞けなくなる。もっといろんなことに対して心を柔軟に持っておきたいと思っているのに、案外むずかしい。
好きなもの、きれいなものを自分の中に一度吸収して、それから何かに昇華させるのがいいなと思う。対象はまだ見つかってない。でもいつか、自分だけのオリジナル。早く見つけたいなと思う。
書くことがないとか思っていたけど、そんなことって嘘だなと思い直した。書くタイミングや言葉が思いつかないだけで、書きたいことなんてきっとたくさんある。
忘れたい音とか、忘れたくない光とか。
しょうもないことでもいい、異性の先輩の、恋人や配偶者がどうしても苦手なこととか。
好きじゃない顔ってあるな、とか。今日わたしは、あ、恋人にとってわたしの顔って、少なくとも生理的に無理な顔じゃなかったのか、良かったこの顔で。って思ったよ。目から鱗が落ちた記念日のうちのひとつにしたい。
あと何に追い詰められてるのかわかんないけど苦しいこととか。心は穏やかだと思ってるんだけどな。
秋だから、仕方ないのかな。
杏露酒ロックをちびちび飲んでみた。最近一人でいるときにピアノのいるトリオのジャズを聞くと泣きそうになる。祖父の家にいる自分を思い出す。
好きだなと思う人のことを時々思い出したり、手に入らない憧れを眺めてぼんやりすることだらけだな。きっとこれからもずっとそうだ。
自分だけが、その情景や心の動きを思い出せるような形で、記憶を残しておくことはできないんだろうか。言葉だとわかりすぎてしまう。それがもしかしたら、音楽や絵画なのかな。
いつの時代も、文化が人間を発展させていることを忘れたくないなと思う。何かについて聞かれたとき、自分の言葉でものが言えるようでありたい。目標がいろいろあって、反省が同じだけあれば、なんとなく前に進めるかもな。
10月になりましたね。もう、けっこう寒いです。
夜の草花が好きだな、と気づいてから、思いつくたびに写真におさめている。きれいかどうかではない。昼間よりも存在感を潜めているのに、確かにそこにいる感じが好きだ。フラッシュを焚くと「きゃっやめて」って声が聞こえてくるような気がして撮ってしまう。(夜の植物にフラッシュを当てるのは良くないんだろうか…)(なんとなく花って擬人化すると女性になってしまう…)
自分はずるいなと思うことがたまにある。おろかだなと思うこともあるし、それが見抜かれているな、と思いつくこともある。
でも夜道を歩いているときは全部忘れる。忘れて、平等な人間の一人としてただ歩いている。たまに電灯に照らされても歩けばすぐにまた暗闇。夜が好きだ。
20歳をこえてから生きているのが苦しくなくなった気がする。勉強は嫌いではなかったから、学生の頃も「強いられた暮らし」のような辛さはなかった。ただなんとなく同じ年頃の人間と一緒にいる苦しさみたいなものを感じていたな、と思う。夜にふらふら歩けるようになったことでいろんなものから解放された。夜に特別なものが何があるわけでもないけど、夜道は落ち着く。目をつぶっていないのに、何も見えないまま、見なくて良いままで歩く気分。何のとりえはなくても、ここにいていいんだなって思う、そして歩くうちに、そんなことさえ考えなくなる。夜が好きだ。