青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

からっぽのままだ

なにも話題がない。わたしはいま、とても空っぽなのだ。困っている。なにを考えるでもなくうわのそらなのだ。


人のことを一度に深く好きになりすぎたからに違いない。今きっととても疲れている。じわじわと、やっぱり好きになってしまいはするけど、前までみたいにうまく集中できるわけではない。ああ好きかもと、ぼんやり眺めている。好きかもと思う自分のことを、眺めてる。


夢中で大切な人のことを見つめていた間、わたしはいろんなものを失ったみたいだ。それをいま取り戻している。時間をかけて失ったものは、取り返すのに更に時間がかかる。仕方がないのだと割り切るしかない。


太陽の光に肌が負けてしまうので、電車の定期券を手に入れた。まいにち同じ景色を見ながら、電車に揺られている。我に帰ると人にも揺れにも酔ってしまうから注意が必要だ。ちょっとむずかしいから、たぶん村上春樹の本をまた持ち歩きます。


眠くなったのでねむるね。

正しさに向き合えない

「正しさならいらない」というタイトルにしたかったけどすでにもうありました

limon3.hatenablog.com



正しさへの追求に対して、確実に自分への甘えが生じてしまう。もういやだなぁとおもってる。つじつまあわせだけして生きている。生きていく途中。



Oasisのアルバムばっかり聞いてる。7枚。




正しい形はおいといて、わたしはなにかをつくりたい気持ちです。

君に会いたい

つかれたなぁ。あ~もうつかれたなぁ~、明日は試験があるけれどつかれたなあ。爪を噛むのがやめられない。


尊敬するひと。着眼点が違うもん。わたしは心の中から疑問が沸かない。あれはやっぱり経年の成せる業なのかな。わたしもこのまますごしてたら、あんなふうになれるのかなぁ。このまま過ごしてたら、なれないよね。


今朝みうらじゅんさんのインタビューを読んでいたら、とても面白かったし、やっぱりこのひとすきだなぁとおもった。

みうらじゅんが教える、「ない仕事」の作り方 - コラム : CINRA.NET


ない仕事をあるように見せる。それって、みうらじゅんの言い方がちょっと笑っちゃうだけで、みんなそんなものなんじゃないかとおもう。人生って、ないものをいかにあるように見せるかみたいな勝負もあるでしょ。「ない仕事」って、「夢」のことじゃないの。笑




カステラってなんでこんなにおいしいんだろうな~




自分に興味を持ってくれる人、みんな好きになってしまうので、こまる。好きになるのは自由なのだからいいではないか。いいか。


「あとで買ってあげるよ」と「前も思ったんだけど」が好き。何でもいいからわたしに対して思って欲しいです!はぁあ。あと何時間か計算できないけど、明日の試験頑張りましょう

生まれた星が違う二人だから

君の全て愛す事は難しい


新たなる解


ayU tokiOの1枚目のフルアルバム「新たなる解」を手に入れました。





今、申し訳ないものの、酩酊状態で、更に音楽にも酔いしれている。

なんて素晴らしい、ポップミュージック!


いや、これはポップミュージックと呼んでいいものなのかどうか。なんて言葉にして良いかわからないよ。うわぁあ~って思っている。



既出4曲がアルバムのために新しい曲に変わって収録された全10曲です。ありがたし。。ミニアルバム「恋する団地」は、すごくまとまりがあって、まさに「ポップミュージック」と頷いて断言できたのですが、なんだか今回のアルバム、更にそれを越えて、新たなる境地という感じがします。(だから新たなる解というタイトルは、とても納得してしまう。)

わたしはケチなタチなので、犬にしてもは購入していなくて、初めてフルで聞いたのですが(ALBUM MIXとのこと)、素晴らしい曲だ。"Fancy vocal"として、やなぎさわまちこさん(WiennersのMaxさんです)……声が~かわいい~ゲストボーカルの櫛引彩香さんの声も素敵だ~


ちょっとまだ全然言葉に出来る段階じゃないのですが(しかも今は酔っているし)、もっともーっと聞きたくなるアルバム。
「春生まれの君だから君のそばは暖かいのかも知れない」という歌詞(「狐の嫁入り」)。アコースティックギターでの弾き語り。まるでボーナストラックのように配置されたラストソング。胸を打たれてしまう。「笑うと無くなってしまう君の目」

シュリスペイロフの0.7のラストソング「1874」という曲がとても好きで、思い出してしまった。別に比較して良し悪しというわけではないけど、切なくて仕方ないのだ。「振り返っても僕は戻りたいなんて思わないよ/でもたまには君の声が聞きたくなる」。そのとおりだよ。君にもう1回会いたくて仕方がないよ。ばかだなあ。




ちょっとほんとにばかだなぁ。って思うので、今日はおしまい。

桜の季節過ぎたら

悲しいことに気がつくと、いちにちがずっと悲しくなってしまう。悲しむような想像力しかないからさらに悲しくなるんだ。
悲しいとき、何をしても悲しい。売れ残った商品をみて悲しくなり、空いているスーパーで悲しくなる。晴れ渡る空の色に泣きそうになって、もうここにはいない人のことを思い出したりする。


そんなときはもう仕方がないので、これまでの自分のことを振り返ったり、楽しいことを思い出すしかないのだ。



Tumblrの自分のリブログを見ていたら、ドラマーの青山純さんが亡くなったときの山下達郎の言葉が改めて胸に響いた。

2014/01/26放送「サンソン」より - 士はおのれを知る者のために死す

山下達郎という人の、こういう感覚がとても好きなのだと思う。







わたしは単純なので、嘘でも冗談でも好きだと言われると、それだけでその人のことが好きになってしまう。絶望的な自己愛。でも他人に左右されている。わたしはわたしがわからない。みんなもわたしのことがきっとわからない。じゃあ誰もわからない。それは少しおもしろい。
もう一度早くおしゃべりしたい。どこかで遭遇できないかなって思ってる。でもその人のことほとんど知らない。ずっとこんなこと繰り返すんだろうか。わたしもういやだなぁ。でもこのぐだぐだ好きな感じ、すっごくしあわせ!こうやって死んでいきたい。
走り回ってくたくたになりたい。それで家に帰ったら笑っておかえりって言ってほしい~


あはは。おやすみなさい。

目を閉じてゼロから百までやり直す

新しい風。


だんだんぼやけてしまうような恋も、泡になってとけ出す君の影も、手を伸ばしてつかもうとするけど、もう春は終わってしまった。花びらは風に吹かれて、川と共に流れていく。それをそっと見ている。穏やかな心で。さようなら。

新しい風と、新しい季節!

みえないものを発見する科学

今から6年前に書いた、高校生の時のレポート。総合学習って、今考えても不思議な授業だった。でも、レポートは好き勝手書いていいので、好きだった。自分が他人に(といっても、最大でも先生しか見ないのだけれど)いつも考えていることを伝える、唯一の機会だった。


もちろんいろいろなことをまだ知らなくて、だけど知らないからこそ、今読むと心に響くものがありました。平仮名が多いのは、その時のわたしのブームなので、読みにくいけど仕方ない。



 虚数は、この世界には存在していない。そのものをみつめ、それについて考え、認めるということはむずかしいことであるはずなのに、私たちはそれを視覚的に表すということすらしてしまっている。これはすごいことだと、この講義では学んだ。
 私が授業で学んでいる数学は、あるひとつの道すじである。しかし、答えに達するには、まだ他にも、たくさんの方法がある。だから、ひとつだけ知っていたり、そこであきらめてしまうことは、非常に損なことだということに気づかされた。
 新たな発見は、楽しいことだ。こんなふうに学んでいくならば、永遠に学習していくことは、おそらくすばらしいことだ。科学は常に進み続け、新しい方向へも旧い方向へも、深く進み続ける。虚数のように、みえないものもたくさんある。私は、そこに科学によって関わりたいと思う。

わたしも、進み続けるしかないんだと思う。