青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

CLIMAX NIGHT

もう終わりなの?まだ踊っていたいのに




この青のなかをもぐる、というページなのですが、最近更新する気が起きず、もう閉じてしまおうかって思ってました。
青というのはわたしの大好きな色で、魚にとっての海水のようなものだったのだけれど、もうわたしは青のなかにいないな、と気づいてしまった。すきなものに何も変わりはないはずだけど、わたしは明らかに生まれ変わってしまったのだ。もうわざわざ青を選んだりしない。対照色も補色も好き、どの色もいとおしくてたまらなくなった。色は季節で、音楽で、止まらずに続いていく。青の持つ神秘的な力がもうわたしには認識できなくなってしまった。それだけの年をとってしまった。

いま欲しいものは、植物図鑑。祖父母の整える庭が美しくて力強くて素晴らしいな、と思ってからずっと気になっている。いつかわたしだけの庭を持ちたい。

平屋の慎ましく荘厳な一戸建てに住みたい。最近は欲張りでいろんな理想を放し飼いしている。そばにずっとあの人がいればいいなと思う。それだけでいいな、それがとても難しいことなのだろうな。と思う。からだの調子を均して、出きるだけ穏やかに長く生きたい。


結局まだわたしは青のなかにいるはずなのだ。青のなかから抜け出したと思っているこの状態こそが、青のなかをもぐっている証拠。うふふふ。

サンダル履きの足指に見とれた

一人で研究し続けることってとてもむずかしいだろうなと思う。何かを発見して、その学問の言葉で記述したあとで、人に見てもらってフィードバックを受けなければ前に進みにくい。

わたしは誰に宛てるでもなく、時間が空けば文章を書き続けられるような気がしているけど、そんなふうに勉強も続けられる人もいるのかもしれない。良し悪しはわからないけど、そういうものが存在しているだけで、生きていけるとわたしは思うのだ。


例えば、洋服の、自分しか見えないような裏地にこだわりを持つだとか、そういう類の話だ。

他人の介入など構わない、もしくは気づかないような個人的なこと。

 


何年か前までは、頭のなかが自意識でいっぱいだったような記憶がある。だからきっとこんなふうに、ブログみたいなものを作ったのかもしれない。わたしはいろんな気持ちをすぐに忘れてしまうのが惜しくて、いろんなところに真っ白なノートを置いておきたかったのがいちばんの理由だけど。

ずっと、無意識でただ「ここにいる」ことに夢中でいられやしないかと、憧れていたんだった。邪推や後悔すべてを考慮に入れずに、時間を過ごしたかった。

 

この一年近くは、やわらかい日差しの中で優しい風を受けているような、心地よい気持ちでいきている。心の中から何かが消えるのはいつも突然で、気がつくといなくなっているような感じ。恋も泡も。意識しないことを意識しなくなったんだろうな、と思う。

 

とはいえ来年になったらまた生まれ変わるんだろうな。きっとそれも楽しいけど!

 

 

 

ともだちのまっすぐな眼差しがとてもよかった。オレンジのペディキュア、夏いね

 

 

フェイクファー

もうすぐ夏が来る

もう湯浅将平のギターは生で聞けないけど、あらゆる媒体に残っているから思い出せる。

 

PERFECT BLUE

 

 

君もわたしも、欠点だらけだね。いつもごめんなさい。

 

でも今年も同じ夏を過ごせそうでうれしいです。秋も冬も!ずっとよろしくね。

無線が切れた さよならをした

ひとりぼっちの人工衛星





5月もおしまい

たのしいことがたくさんあった!細々した嫌なこともあったけどきっと半年もしたら似たような嫌なことに追われて忘れてしまうようなレベル。そうやって続いていくとおもう。

6月のカレンダーも最高です。傘や雨を思わせるデザイン。この街もだんだん梅雨の季節がはっきりとしてくるようになった。環境問題のせいだろうか、と安易に思っている。

小学生くらいのころ、地球温暖化について調べたり文献を読む機会がとても多くあったような気がする。今の小学生もそうなのだろうか?違うんじゃないかなって思っている。いつだってこどもは大人にふりまわされるんだろうな。良くも悪くも。そして気がついたら自分は大人側だと意識するようにできている、たいていの人間は



わたしのウェブログ、真っ白に黒い文字のページ、全然現実味がないので気に入っている。改めて気がついた。時間が空いても必ず戻ってきてしまうとおもう。死ぬまで。



ひとりぼっちの人工衛星、とても空しいのだけれど、音楽は少し陽気だ。余計に空しいと感じるときもあるし、開放感を感じることもある。このアルバムはやっぱり不思議だ。何年経ってもわからない。わからない魅力がある。
空洞です



人生が何かの道をぐるぐる回っているのだとすると、今年の夏は中学一年生の夏みたいに、じっと和室できょうだいと人生ゲームをしてる、みたいなのがいい。暑い部屋で、昼になったら麺を食べて、それ以外はずっとルーレットをまわす。何が楽しいのか思い出せないけどひたすら楽しかった。夏の充填率はあれが最高だったと思う。あんなふうにすごしたい。



計画を立てられないのは、組織に属することになったとき問題が起こりやすいと思うので、改善しようとおもう。

あと、写真をたくさん撮りたい。




そして陽気にすごそう


まるごと

げんきです。もう4月もおわりそう。



ことしは雑誌イラストレーション付録の100%ORANGEカレンダーを使ってるので、たぶんおちゃめに生活している。たまにスカートをはいてみようとしたりしている。きっずたちが毎月とてもかわいいです。



このまえ酔っ払って古本屋で買ってた本
まるごと好きです (ちくま文庫)
工藤直子さんの「まるごと好きです」というエッセイ。



ぜんぜん友達がいないな、と思っていた時期もなくはなかったんだけど、気づくといま、近くに会いたい友人がたくさんいる。友達がほしいとおもっていたときというのは、憧れを強く持っていた時期だ。憧れ、というよりは、固定観念だろうか。そのくせ、生まれながらきらきらした人なんかには敵対心があったので、心がぎすぎすしていただろうなと思う。
いまも、相容れないひとはいるし、嫉妬もするけれど、自分は自分でいいんじゃないかなって少しずつ思えるようになった。いろんな人と知り合って、やさしい気持ちをもらったりあげたりしているうちに、友達が増えた気がする。

工藤さんの、ともだちに関する考え方やともだちの話の本。どれもすごくおもしろい、とおもうのは、結局わたしがどんなひとのことも好きになってしまうからだとおもう。

ここが嫌い、とかいろいろあるけど、全体として、他者のことを嫌いになれない。すごく中途半端な人間だな、と思う。やさしさだけの人間では、けっしてないから。






好きな人のもちものと、おそろいを買おうとしたら、もう売り切れていた。もっとはやく気がつけたらよかった。ほとんど一点ものだったらしく、なおさら残念な気がしてくる。いまはいまだけ、の極みってかんじだ。


そういえば最近、「~の10つの方法」みたいな名前のWeb記事を気づくと漁っていて、すごくつまらないにんげんだな、と思っている。紙の日記を書く時間すらあまりとれていないから、はてなブログは後回しにしていたけど、そんなの見ている時間を全部削ったら、たくさん日記も書けると思う。ようやくまた文章が書きたいなと思うようになってきた。たぶんいくつか、いらいらを助長させる文章を読んだせいだ。よしあしは知らないけど、わたしには合わなかったんだとおもう。まただらだら日記を書く時間を、意識的につくろうとおもう。



明日は野菜とか買いに行きます。またね

大きい傘

きのうの夜風は春の匂いだったくせに、今日の帰り道は雪混じりの雨で、靴が水浸しになった。


恋人が大きい傘を貸してくれた。


天候のことを気に出来るのは、大人の証だと思う。数年前のわたしの一年の目標は「天候に合った洋服を着る」だった。結局いつも他の人より少し薄着で、「寒そうだね」って心配されて、失敗してた。いまもまだ子供のまま。



写真におさめておきたい、と思うものは、たいてい写真に残せない。過ぎ去ってしまう。


水溜まりに反射した一瞬の光の輝きも、すれ違った赤ちゃんの笑顔も、知らない人のリュックから覗いてる小さいぬいぐるみも、あ。と思ったらもう次の一秒。


まぶたがシャッターならいいのにね。




おやすみなさい。

だれかのいとしいひと

好きな本10冊はもうきまってる。わたしは有名人じゃないし、そうなる予定もないのに、決めている。生活にふっと現れる本。

だれかのいとしいひと (文春文庫)

わたしは固有名詞を覚えるのが苦手だ。塾で働いていたとき、人の名前をおぼえるのは得意だと思っていたのだけれど、今日、角田光代の『だれかのいとしいひと』を読み返す前、登場人物の名前を全然思い出せないな、って愕然とした。こんなにも好きで距離が近いように感じている人々でさえ、会ったことがないと名前が記憶に残らない。ただ、色や味や匂い、ざらざらしているとかそういう質感みたいなイメージだけが思い出される。わたしはそれだけでいとおしいな、と思える。


この「だれかのいとしいひと」というタイトルがどこから付けられているのかも、思い出せなくて読み返したんだけど、小説に登場するのはほんの一文で、しかも「だれかと、そのひとのいとしいひとと、自分」という構図の一要素だったのだけれど、どのお話も「You and I」で完結していなくて、もうひとりそばにいる。回想のなか、友人の恋人、昔の恋人。ぜんぶ、だれかのいとしいひと。




わたしはきっとこの先も何かに固執できない。詳しく覚えられない。そこにさみしさはあるけれど、いまのところ圧倒的に困っていることはないので、このぼんやりした感覚のままで生きていていいかな、と思う。わたしはこれでいい。




まだ若いのに、わたしはこれでいい、なんて限度を決めるのはもったいないことだろうか。でも、これからはぼんやりと社会に溶けて、埋もれてしまいたい気がするのだ。今までそれがいちばんむずかしいことな様な気がしていた、わたしは悪目立ちする性質で、よくもわるくもずっとこんな風なのだと決め付けていたから。




着たい洋服を着て、住みたい家に住んで、食べたいものを食べる。それからのことは、全部整ってから考えてみたい。ずっとその場しのぎでいい。そのほうがわくわくするよね!








高校の同級生が休学して留学し、ブログを書いていたのだけれど、面白くなかったからわたしも日記を書きたくなった。(アクティブでネガティブなその人のことを嫉妬しているせいだとおもう。なにを贅沢な!と思ってしまった。)でも書きたい文章を書くのは日々の鍛錬にしか成し得ないことだから、思ったようにかけませんでした。


日記を書くのは時間がかかる。大事なことが見つかったから、後回しにしていたけれど、本質的にわたしは日記を書くのがすきなのだな、と思いました。



あんまり空白の期間がないように、こまめにかこう。これはきっとライフワーク。だれかに届けるものではないけれど。