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青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

まるごと

げんきです。もう4月もおわりそう。



ことしは雑誌イラストレーション付録の100%ORANGEカレンダーを使ってるので、たぶんおちゃめに生活している。たまにスカートをはいてみようとしたりしている。きっずたちが毎月とてもかわいいです。



このまえ酔っ払って古本屋で買ってた本
まるごと好きです (ちくま文庫)
工藤直子さんの「まるごと好きです」というエッセイ。



ぜんぜん友達がいないな、と思っていた時期もなくはなかったんだけど、気づくといま、近くに会いたい友人がたくさんいる。友達がほしいとおもっていたときというのは、憧れを強く持っていた時期だ。憧れ、というよりは、固定観念だろうか。そのくせ、生まれながらきらきらした人なんかには敵対心があったので、心がぎすぎすしていただろうなと思う。
いまも、相容れないひとはいるし、嫉妬もするけれど、自分は自分でいいんじゃないかなって少しずつ思えるようになった。いろんな人と知り合って、やさしい気持ちをもらったりあげたりしているうちに、友達が増えた気がする。

工藤さんの、ともだちに関する考え方やともだちの話の本。どれもすごくおもしろい、とおもうのは、結局わたしがどんなひとのことも好きになってしまうからだとおもう。

ここが嫌い、とかいろいろあるけど、全体として、他者のことを嫌いになれない。すごく中途半端な人間だな、と思う。やさしさだけの人間では、けっしてないから。






好きな人のもちものと、おそろいを買おうとしたら、もう売り切れていた。もっとはやく気がつけたらよかった。ほとんど一点ものだったらしく、なおさら残念な気がしてくる。いまはいまだけ、の極みってかんじだ。


そういえば最近、「~の10つの方法」みたいな名前のWeb記事を気づくと漁っていて、すごくつまらないにんげんだな、と思っている。紙の日記を書く時間すらあまりとれていないから、はてなブログは後回しにしていたけど、そんなの見ている時間を全部削ったら、たくさん日記も書けると思う。ようやくまた文章が書きたいなと思うようになってきた。たぶんいくつか、いらいらを助長させる文章を読んだせいだ。よしあしは知らないけど、わたしには合わなかったんだとおもう。まただらだら日記を書く時間を、意識的につくろうとおもう。



明日は野菜とか買いに行きます。またね

新学期が始まってた。たぶん、学生としてはさいごの4月。



選択肢によっては、この先もずっとびっくりするようなことばかり起こるだろう。わたしはそれを「すてきなこと」ってよびたい。心はゆとりがあったほうがいいけれど、劣勢なほうがプラス向きの加速度は大きいと思うから。


前向きになったり、後ろ向きになったり忙しい。眠れないことなんてなかったはずなのに、急に眠れなくなったりする。
言葉も浮かばなくなる。


はやく忙しさのなかで漂流したい。それはそれで、また不満があるのだろうけれど。漠然とした不安は、ただ寿命を縮めている気がする。



ちょっとやすみすぎたのかもなぁ

大きい傘

きのうの夜風は春の匂いだったくせに、今日の帰り道は雪混じりの雨で、靴が水浸しになった。


恋人が大きい傘を貸してくれた。


天候のことを気に出来るのは、大人の証だと思う。数年前のわたしの一年の目標は「天候に合った洋服を着る」だった。結局いつも他の人より少し薄着で、「寒そうだね」って心配されて、失敗してた。いまもまだ子供のまま。



写真におさめておきたい、と思うものは、たいてい写真に残せない。過ぎ去ってしまう。


水溜まりに反射した一瞬の光の輝きも、すれ違った赤ちゃんの笑顔も、知らない人のリュックから覗いてる小さいぬいぐるみも、あ。と思ったらもう次の一秒。


まぶたがシャッターならいいのにね。




おやすみなさい。

だれかのいとしいひと

好きな本10冊はもうきまってる。わたしは有名人じゃないし、そうなる予定もないのに、決めている。生活にふっと現れる本。

だれかのいとしいひと (文春文庫)

わたしは固有名詞を覚えるのが苦手だ。塾で働いていたとき、人の名前をおぼえるのは得意だと思っていたのだけれど、今日、角田光代の『だれかのいとしいひと』を読み返す前、登場人物の名前を全然思い出せないな、って愕然とした。こんなにも好きで距離が近いように感じている人々でさえ、会ったことがないと名前が記憶に残らない。ただ、色や味や匂い、ざらざらしているとかそういう質感みたいなイメージだけが思い出される。わたしはそれだけでいとおしいな、と思える。


この「だれかのいとしいひと」というタイトルがどこから付けられているのかも、思い出せなくて読み返したんだけど、小説に登場するのはほんの一文で、しかも「だれかと、そのひとのいとしいひとと、自分」という構図の一要素だったのだけれど、どのお話も「You and I」で完結していなくて、もうひとりそばにいる。回想のなか、友人の恋人、昔の恋人。ぜんぶ、だれかのいとしいひと。




わたしはきっとこの先も何かに固執できない。詳しく覚えられない。そこにさみしさはあるけれど、いまのところ圧倒的に困っていることはないので、このぼんやりした感覚のままで生きていていいかな、と思う。わたしはこれでいい。




まだ若いのに、わたしはこれでいい、なんて限度を決めるのはもったいないことだろうか。でも、これからはぼんやりと社会に溶けて、埋もれてしまいたい気がするのだ。今までそれがいちばんむずかしいことな様な気がしていた、わたしは悪目立ちする性質で、よくもわるくもずっとこんな風なのだと決め付けていたから。




着たい洋服を着て、住みたい家に住んで、食べたいものを食べる。それからのことは、全部整ってから考えてみたい。ずっとその場しのぎでいい。そのほうがわくわくするよね!








高校の同級生が休学して留学し、ブログを書いていたのだけれど、面白くなかったからわたしも日記を書きたくなった。(アクティブでネガティブなその人のことを嫉妬しているせいだとおもう。なにを贅沢な!と思ってしまった。)でも書きたい文章を書くのは日々の鍛錬にしか成し得ないことだから、思ったようにかけませんでした。


日記を書くのは時間がかかる。大事なことが見つかったから、後回しにしていたけれど、本質的にわたしは日記を書くのがすきなのだな、と思いました。



あんまり空白の期間がないように、こまめにかこう。これはきっとライフワーク。だれかに届けるものではないけれど。

いつか月に届くだろう

なにを書こうか、ってずっと考えてた。そんなことは生まれてからはじめてで、困ったまま、そういえば。はじまりをうやむやにすればあとは進むしかなくなるな、ってことを思い出した。

 

 

日記は始めようとして始めるものじゃなくて、書いたらもう始まっている。

 

 

これはいろんなところに現れて、同じように終わる。日記だけじゃなくて、季節も、恋も、そんな感じ。わたしはそういうものがきっと好きなのだ。

 

 

 

未来のことを考え始めると、動けなくなる。わからなくてこわくなる。でも、未来の始まるところは、日記と同じようにあやふやなのだから、身構えなくていいんだな、って思いました。わたしは好きなことをしたらいい。

 

好きなことはなんだろうね?

 

最近になって、ラーメンとカレーが好きだと気がついた。青の次に冬の夜が好きだと思っていたけど、夏の朝も同じくらい好きだった。ぜんぶ知らなかったこと。最近気づいたこと。

 

 

好きな人が好きじゃないことを包含していることも知った。この場合は超越と言ったほうが正しいのかもしれない。性質が、その人を形作っていることに変わりはないけれど、本質的に好きってことは、もう変えようのないことなのだと思う。

いつの日か何を言ってるのかわからなくなる時が来るとしても、いまはこれでいいのだ、

 

 

 

そんな感じ。

 

きっと死ぬまで生きていくだけなのだ。これは、否定的な意味を持たない。わたしはずっと生きていく。

 

CLOVER

 

「言葉が足りなければナイフで裂いて体からえぐり出していい」なんて、愛って優しくないね。そんなの、知らない!

でもこの曲はずーっと好き。スガシカオの月とナイフ。(中学生のとき、生徒会室で勝手に歌詞を印刷した。業務以外に使っちゃいけないからはらはらした。意味なんてどうでもよくて、歌いたかったから。)

 

大人になれるかな~

ゆらゆら空を渡る

あけましておめでとう。

 

 

おひさしぶりです。お元気ですか。わたしは変わらないままです。

 

 

ふと気がつくと、色のない人間になっていました。いろんなものを見て、からだじゅう、色とりどりのはずが、来ている洋服も持ち物も暗い色ばかり。困ったなあ。と呟きながら笑っている。とげとげしながら笑っています。

 

 

今年はきっと忙しくなるのだけれど、それはわたし次第であって、ぼーっとだらけてしまえばまた間延びした1年になるはず。

 

 

大森荘蔵ブームが来てしまったので読みます。

思考と論理 (ちくま学芸文庫)

 

わたしは頭のなかに知識を取り入れて、咀嚼して別のものにその欠片を直接注入するようなことに熱中できない。そこには驚きが少ない気がしてしまう。それなら何もしなくていいや、と思って、またお昼頃まで寝ています。そんな生活ばかりしているわけにもいかないので、何も考えずに本屋さんに行きました。

 

年末は何か買いたくて仕方がなかった。何でもいいから、心が弾む何か。ひとつでいい。小さくてもいい。

とはいえ流星は熱くて早くて重くて手では掴めません。月もきれいだけど、実際に保持してしまえばただの塊。地球の衛星だからこそミステリアスで美しいのです。くどいですが続けますと、海の水も掬ってしまえばあの透き通る青はもう戻ってきません。

 

結局ノートだけ買いました。ほしいノートはもうすべて廃版で、わたしは時代に適応できてないな、と寂しい気持ちになった。でもこの小さな寂しさは、わたしの心を満たしました。不思議と充足感を得ました。あぁわたしは寂しい、と思うと、心の重みを感じました。そんな感じ。そんなふうに1週間くらいが過ぎました。

 

大森荘蔵は物理や数学にも明るくて説明の仕方が面白い。いまの印象はそんなふうです。山の奥の足湯でおしゃべりなおじいさんに会った時に似ている。ラッキー。!

 

 

 

 

正しさはわからないけど、わたしは今まで、家族って遠く離れても平気なものなんじゃないかなって思ってました。というか、恋人だとしても一緒にばかりいると飽きてしまうものなんだな、好きって気持ちなんて風邪みたいなものだなって考えてた。だから鮮やかで目まぐるしい場所に身を置いて、忙しくしながら死ぬのを待とうとしてた。

 

でも今は、ちょっと違うのかもしれないな、と思い始めたところです。ずっとそばで眺めていたくなる人を見つけたみたい。こんなこと、言葉にして残しておかなくてもいいのだけれど、いつか忘れてしまうかもしれないから。

優しいときは嬉しいし、面倒なところも、振り回されたい。目まぐるしさを景色に求めていたのだけれど、この人のとなりにいれば、わたしがくるくる回っていられる。なんてことを、いまは思っています。

 

 

インプット/アウトプットへの願望が交互にやってきて、季節みたいに。いまは、アウトプットが必要なんじゃないかと考えてる。というか、手軽なインプットをし過ぎたんじゃないかという気がします。両方並行出来ればいいんだろうな。

 

 

計画してそれを実行してみたいです。2017年。

頑張りましょう。頑張ります。

 

 

 

スピッツの幻のドラゴンをよく聞いてる。君に夢中で泣きたいくらいなんです。いつか覚めるとしても!

ぼやけた優しい光

あの子の撮る写真のなかのわたしはいつも笑っている。脹れていても、睨んでいても、口元や目の奥が笑ってる。

 

 

全部知ってもらえたらいいのに、と思う。

 

 

 

 

 never young beachの「お別れの歌」のミュージックビデオ、見ましたか。

 

 


never young beach - お別れの歌 (official video)

 

バンドのことはモヤさまのエンディングをうたっていた、ということぐらいしか知らないけれど、小松菜奈ちゃんがとてつもなくかわいい。ずっと好きな女の子だ。ずっと、と言っても、7年間くらいだけど。小学生一人が卒業してしまうような期間好きでいるのは、もう恋と言ってもいいんじゃないかしら。と思ったけど、断続的なことでしたから、そんな大げさには言えない。撮ってるのは奥山由之さんだった。しめしめ。と思った。奥山さんだと思ってたからです。

 

 

 昨日は太宰治の斜陽を読んだ。

斜陽

「恋、と書いたら、あと、書けなくなった。」

鮮やかでくらくらした。これが一章の終わりの文。始まりではないから、なおさら心地よい眩暈がしてくる。

しばらく読書をしていなかったせいなのか、無関係なことか、やたらと読みやすく感じて不思議だった。内容は読みやすいものでもないとおもうけれど、太宰治の文章はうまくて、出てくる女は大抵意思の強さを感じる。そんな女のことを、太宰治は憧れつつも疎ましく感じたりしていたんじゃないかって勝手に妄想している。キラーフレーズがたくさんあるのでやっぱりすごい。

 

 

 

あんなに日記中毒みたいに日記を書かずにいられなかったのに、今はなにも言葉にならない。そんな日々が続いている。こんなのわたしじゃない、と思い込みたくて、いろんな音楽や本や映像や色や形を探してみたけど、あまり変わらなかった。悲しみたくても心の空白を感じなくて、どうすればいいのかよくわからない。

 

 

まるで恋のはじまりが何ヵ月も続いてるみたいだ。たくさんのことを思い出せない。思い出せなくていいや、と諦めている。笑っている。

 

自分の未来のことを思うとずっと寝ていたい。思い出したいのは君だけ。わたしじゃだめなところは、他の人に回そうかな、と思う。このままを抱えて、生きていく。それもいいし、それでいいかな、と思う。とても寒い、眩しい陽射しの日に。どうもありがとう。いつもありがとう。

 

 

 

 

既に空き地になった素晴らしいブログを見つけると、この人の言葉をその発せられた瞬間に知りたかったと悔しくなる。わたしはここに来ることを止められないと思う。止めるときは、このページも消してしまおう。そうしよう。またこんどね。