青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

ゆめ

忘れながら生きている。いろんなこと。
何に感動したかも忘れて生きている。


でも、ときどき思い出して、泣きそうになる。一緒に歩いた雨の日の坂道とか、夏の朝に通ったよくわからない砂利道のこととか。


だいたい思い出すのは、表情や話の内容ではなくて、歩いていたときの風景なのが不思議だ。


恋人と旅行をしたことが一度しかない。行く前は、いつもの散歩の延長みたいなものかと想像してたけど、こうして何度も思い出すといつも眩しい気持ちになるから、あれはとても特別な数日間だったのだと思う。旅行なんてすぐに行けるはずなのに、わたしたちはなかなか計画も立てずに、この周辺ばかり歩いている。新しい喫茶店にも気になるご飯やさんにも入らずに、いつだって同じカフェ、同じ本屋さんに向かっている。もしかすると新しいことが苦手なだけかも。でも、それが好き



地味な色が似合う人はいいな、と思う。地味な色が好きだ。わたしは地味な色に馴染んでいるだけで、似合ってはいないな、と悲しくなる。花やかな顔立ちや華奢な骨格を隠すように、落ち着いた色合いを身に付けている人を見ると憧れる。



今日も電車は満員で、椅子に座るわたしは顔を上げない。こうして仕事とは関係のない散文を書いている。
この一年で、日記を書かずにもいられることがわかった。ただ、書けないと心が消耗しているから、これはある意味リハビリのように続けていかないとならないと思う。手軽に日記が書けることが嬉しい時代。でもわたしはメールと電話しかなかった時代や、さらにいえば電話と手紙しかなかった時代が、憧憬として頭に思い浮かぶ。今と比べて何倍もの熱量で気持ちが行き交っていたようにみえるから。

いつも思うけど、これは日記というより言葉遊びの軌跡だと思う。この前朝ドラで見た、くるくるペンを回して花のような模様を描いているのに似てる。あの透明な色つきの定規と歯車みたいなやつ。書いてる瞬間は楽しくて夢中になる。


明日は好きな洋服が着たいな。早く土曜日にならないかな、とふざけて何度も言ってくれたことを忘れたくない。

180613 Wed.

(6月17日に更新、13日の日記)


風邪をひいた


家族からもらったのど飴が尽きて、ハローキティのかわいいポーチのおまけだったキャンディを口に入れた。メロン味。よく知っている味だった。

楕円や長方形で、表面がぶつぶつ模様がついている飴。おばあちゃんとデパートや遠足に行くと、いつもくれた。いろんな味があって、でも真っ白なのは辛くて食べられなかった。

とても懐かしい味。口ざわりも知ってる。



ときどき無敵になったり、もとに戻ったり、忙しい。今はなんだかとても弱気だ。風邪のせいだろうか。


はじめから大きな差がついているときはどうしたらいいんだろう。前なら自分は自分と思えたけど。

思い出の束になる

志村正彦がボーカルだったころのアルバムで、一番好きなのはずっとTEENAGER だった


久しぶりにCHRONICLE を聞いてみたら、涙が止まらない。大丈夫か自分


CHRONICLE


たぶん、「若者のすべて」について、それまでは立ち止まって考えようとしてたけど歩いたり音楽を聴きながら前に進めばいいんだって気づいた、というような話をしていたのが記憶にある。


その先の未来に立っているひとが、こんなに女々しいことに、なぜか心を揺さぶられる。このアルバムがこんなに苦悩しながらの状態で作られたことにあまり気を留めていなかった。


眠れないことの辛さも、別れの切なさも、忘れてしまうことのむなしさも、ぜんぶわたしは知っている。その胸の痛みを思い出せる。ひとつひとつは個人的な事象なのに、どうしても歌詞に共感してしまう。



わたしはなにも後悔してない。すぐ忘れてしまうから、後悔する材料がなくなる。それでも最近は、言葉にできない感覚のレベルで、なんだか辛い気持ちになっている。なにも不自由してないはずなのに、常にイライラしている。焦ってるのかもしれない。それで迷惑をかけているひとがいて、更に不完全な気持ちが募る。終わりが見えない。ごめんね。ごめん



とりあえず、ひとりで立ち止まって考えようかな。そういうターンもありだよね。むしろ、これまでの中で一人だった時間はとても長かったわけだし、頭の中がきちんと空っぽになればいいな

幸せな話がしたい

「最近単純なことばかりしてる」
『いいことだ』
「いいの?」
『だめなの?』
「いい」

急に、本屋で交わした会話が、実は素敵だったんじゃないかって気がした。意識してないだけでいつだってみんな、ドラマのなかにいるのかも。そして、生まれたらその時点で、その物語は自分が主役でもいいのかも。




と思えるくらい、幸せな気持ちになる朝ドラを毎日見られて嬉しく生きてます。



井川遥が本当に麗しい!!!

水の中

元気にしています。



「春と盆暗」に出てくる女の子みたいに、電車のなかで呼吸してる。比喩じゃなく魚みたいに

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

こんなに強烈な満員電車に乗ったのは生まれて初めて。ここまでぎゅうぎゅう詰めだとは!息が出来ないくらいに。
でも、漫画の最後のストローのシーンが尚更胸に響くから、この街に来た意味もあったのかもしれない。まだ少し続きますが、とても楽しかったです(自分の心を仮想化した感じだ)


タイトルはシュリスペイロフ。「水の中」、本当にきれいな曲です。狂おしいきもちになる
シュリスペイロフ、好きすぎる漫画『春と盆暗』の熊倉献とご対面 - インタビュー : CINRA.NET






誰かの好意に対して、わたしでなければならない理由を考えてみたら、ただそこにいるのがわたしだったから、ということしかなかった。心は軽くなったけど少し寂しいような。だけどやっぱり安心。



二年前のことを思い出す。好きなもの、当ててくれて嬉しかった。それだけでわたしでなければならない理由になった。

今でも一番好きなものは青だけど、あの日にきっとわたしは解放されたのだと思う。それまではいつも洋服のどこかに青が入ったものを着ていた。好きで着てたはずだけど、意地のようなものだったのかもしれない。でも、あんなに青まみれだったのに、誰も「青が好きなんだね」って言ってくれなかったんだよねぇ。そう、君がはじめて!





明日は大変な雨らしい。大丈夫かなぁ。


どこにいても、あまり変わらずにいると自分では思っているけど、きっと浮わついたり、いろいろ、あるんだろうな。テレビの生放送で見たトランペットの音、とてもいい音色だった。

柔軟でいたい。

さいしょのデートみたいに

楽しくやっています、今までとは違う街で。




ひょんなことから、二人でお出かけすることになった。美味しいご飯を食べて、お参りをしたりおみくじを引いたり、乗り物に乗ったり。

帰り際に、半日を振り返った。わたしじゃなくて、その人が。大人の男の人が、シンプルな絵日記みたいにその日の出来事を並べてくれた。楽しかった?って聞かなくても、たぶん楽しそうで、よかった。まるで、さいしょのデート。



朝に家をでると、ずっと住んでいた街とは違う空気。温度も日差しも違う。


志村正彦が、角を曲がったあとで消えないでと願ったのは、なんでだろうな。結局ずっと考える。特にこの街は、道端に咲く花もアスファルトで寝てる犬も眩しいから。



「ちょっと薄着だったね」と言ったお父さんに、「だいじょぶだいしょぶ」って、男の子が言った。きっと、お母さんの口癖だ。



心が震えるのは余裕があるからなのか、心が空いているからなのかな?





楽しくやってるといいな。


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