青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

短い季節

夏、涼しい夜風しか知らなかったはずが今年は異常気象で、初めて連日の熱帯夜を体験した。

「わたしはこの街を出られないかもしれない」と本気で思った。どの季節も、この街の温度が好きだ。冷房は体が慣れなくて何年経っても苦手だし、雪のない冬を思うとなんとなく憂鬱だ(冬は雪のおかげできらきらする)


このまえ動物園に行ったら、シロクマが日陰の部屋にこもっていた。ちょっと目があった気がして「暑いよねぇ」と言ってみた。心底うんざりしているように見えて、ごめんねって思った。この暑さは誰のせいだろうね。


そんなふうに溶けたりアイスキャンディを食べたりしている間に、宵時が涼しい時期になってしまった。夏は短い。シロクマも外に出てみる気になっただろうか。昼間ワンピースで出掛けると、帰る頃には肌寒いくらい。



だからもうすでに、真夏に憧れている。ジーっていう焼ける音が幻聴のように聞こえるような夏の昼間のことを、心の中で思い出そうとしてる。でも人生でそんな夏の日は100日もないから、思い描いているのは夏休みによく見てた5つ子の出てくるドラマの風景……



3連休だったから夜ふかしばかりしていて、明日が不安だ。今日もこうしてなかなか眠れない。だから思いついて日記を書いてみた。

不安になるだけだからと思い、目標を立てたり計画したりすることをずっと拒否してきた。だから自分の理想はなんだろうとか、どんなふうになりたいかとか、今でも考えたくない。なんとなく周囲からは、考えてほしいという雰囲気を感じるけど、出来れば「いつかきっと死ぬ」以外不確定のままでいさせてほしい。見えすぎると、苦しいのだ。なんか水に溺れるような苦しさがある。
もちろんこのせいで漠然とした不安が漂ってることもわかってる。これは最近気づいたこと。だからそれについては1つ決めたのだ。「なにかひとつ強い気持ちを持っていたい」と、自分に対して期待することにした。この感情は肯定でも否定でもいい。でも曖昧なのはだめ。数年かけてもいいから、それについてきちんと考えて、何か答えを出すことを自分に課すことにした。


あと、好きな言葉を使っていたい。好きな言葉を思いついていたい。本を読んでいて「やられた!」と思うことが多い3日間だった。それがちょっと嬉しかった。


季節という言葉が好きだ。生きてる中で、この時もなにかの季節だと思ってる。



あと今、桃が美味しい。すいかもおいしかった。それが幸せでした



木洩陽通りにて

いつか

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4月ごろに、日記を全く書いていないと言ったけど、いろんな出来事がそれを助長させて、今ではここだけでなく一番手近なはずのノートすら開かなくなってしまった。日記はわたしを待っていないし、わたしも日記から逃げている。だからちょっとずつリハビリ、、そもそも感情の行き場に困って、体中が言葉だらけになることを防ぐために日記を書いていたから、リハビリなんておかしいな・・・


いくつかのことを並行して行うのは苦手だけど、集中できない日々が続いている。自分が何をすればいいのか(十分なのか)、本当は何がしたいのか、考えすぎて前に進めていないのはうすうす知ってる。

仕方ないからこれまでを振り返ってみたら、型があり、その制限の中で工夫したり、様子を見て逸脱するように物事を進めてきた。今はその型が自分にとって曖昧で、よくわからない敵と戦い続けていることに似ている。自分の身の置き方も良くないのかもしれない。目的が分散してるんだと思う。



あと、気づいたらなんか、人からもらってばかりだな。あげ方がわかんない。わかんないとか言ってる年じゃないと思うんだけど。まぁいろいろ勉強だな。


あと部屋の配置をなんとかしたい。服が散らかっている。


とりあえず頭の中の整理になっちゃったけど、今日はおしまい

泡みたく輝いて

4月に書いた日記。


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おひさしぶりです。やっとわたしの街も春らしい陽気になってきました。


あまりに日記を書かずにいたら、周囲の人にばかり話しかけてしまって、ちょっと迷惑かけてると思ったので書きます。そもそもわたしはおしゃべりな人間なのだ。たぶん。聞いてほしくて仕方ないタイプだ。がはは



とはいえ何が喋りたいわけでもない。霜降り明星が面白いとか、宮下草薙の草彅がなんだかん だすきとか、、



そうそう。仕事場と家を往復してると、自分には何も好きなものがないんじゃないかと言うような気がしてくる。最近好きなことをしてないな → 好きなことなんてないのかも、というループにすぐに陥る。

でも心の拠り所はいくつかあって、それはお金を稼いでいてもふわっと思い出す。



いつかきっと「何もない日常が一番幸せだったんだな」みたいな言葉も青臭く感じるのだろうか。光が眩しいと泣きそうになる。崎山蒼志はどうして泡が輝いてるのを知ってるんだろう。

190513 Mon.

習慣はすごい。人は積み重ねで緩やかに変わる。


日記を書いていない。何も考えてないわけじゃないけど、何か思っても頭の外へすぐに逃げていく。思考回路や言葉のメモをとることも少なくなった。少しずつ性格が変わっていく気がする。



友達とは心を支えたり支えられたりしている。きっと別にわたしの性格を気に入っているからとかではなく、存在していることによる安心感などで結ばれている。






何かがつらい、家族に連絡をとってみたら、文章がすんなり伝わらないことだったり、親戚との会話が苦しかったり。





まぁそんな愚痴でも、素晴らしいことでもなんでもいいから、また書こうかなって思いました。

190327 Wed.

日記を書かなくても生きていけるし、音楽を聞かなくても死なない。

この1年でよく思ったこと。



じゃあ生きていくのに本当に必要不可欠なものってなんだろう?と思うと、最低限の衣食住と人とのつながりだけかもしれない。


日記や音楽はそれとは別の場所にある。どんな文章を書いているか、どんな音楽を聞いているかを、他人にどう思われようと構わない。ただ自分が満足するためだけにしていることだ。そもそもわたしは(人は?)満たされるために生きているのかもしれない。それならわたしの人生には日記も音楽も大事な要素かな。

○△□


星野源という人の発する「未来」という言葉が好きだ。地に足がついているニュアンスがあり、確実に自分が未来にいるような気がする。危うさがなくて、うれしくて、泣きそうになる。そういえば何年も前のアルバムに「未来」というタイトルの曲があったけど、あのときの未来は日常の延長のような気がしたな。あの未来を思うと、日曜日の夕方みたいに不安定な気持ちになる。そう考えると、大きな舞台に立って目標を達成していくことや困難を乗り越えること、努力して成長することの偉大さを感じる。すごいな。でもわたし、どの星野源さんの曲も好きだ。どのアルバムも、聞いていた頃のことを思い出せるから特別。


○△□
音楽も生活を豊かにするけど、思い出も大切だ。心の中から取り出すと眩しいようなたくさんの出来事を忘れずにいる。

冗談みたいなやりとりが忘れられなくなったりする。思い出を食べて生きていければいいのに。


仕事をしているけど、別に好きなことはしてもいいし、もっと好きなことに時間をさこうかな。おしゃれとかしてもいいのよ





そんなことを思っていたんだ

僕でいいくらいは言わせてみたいのさ

酩酊したまま、春の月の灯りで家までの道を追いかけた。明後日にはまた雪が降るそうだ。不思議な季節。不思議な街。不思議な時期。不思議な時代。


○△□


もしかしてお久しぶりですか?


○△□


今月はすでに2週間以上すぎて、税金のことに関するブログや、未婚だけど妊活をした人のブログや、シフト制の仕事をしながら追っかけをしている人のブログなんかを読んでいた。



急に夜間の温度が10度近く上昇したから、外で電車を待っていても実感がわかない。凍える寒さは自分の輪郭や芯をはっきりと知らしめてくる。いまのわたしは内も外もぼんやりした気分だ。頭の中は雪が降っていたときのことを思っている。心は、夏の夜のひんやりとした空気のことを想っている。



酔っているのでback numberの一番初めのアルバムを流して、イヤホンを強く耳の奥に詰め込んだ。インディーズの水色のジャケットのアルバム。このアルバムを手に取った早さでは、100人以内に入っていると自負するくらい、すごい速さで好きになった。
このバンドがいくら大きな存在になっても、わたしはいまも弱虫で、いじいじしてる。このアルバムのまっすぐさと、完成しきっていない音が好きだ。きっとずっとこんなふうに聞くと思う。



もっとたのしく、穏やかに楽しく、生活してもいいんだと思う。極端なわくわくは、そんなにたくさんやってくる波ではない。もっと身近な「かわいい」とか「うれしい」とかの積み重ねでいいと思う。そんなことをすぐに忘れてしまって、心がしおれていく気がする。


花には水を、魚にも水を