青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

水の中

元気にしています。



「春と盆暗」に出てくる女の子みたいに、電車のなかで呼吸してる。比喩じゃなく魚みたいに

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

こんなに強烈な満員電車に乗ったのは生まれて初めて。ここまでぎゅうぎゅう詰めだとは!息が出来ないくらいに。
でも、漫画の最後のストローのシーンが尚更胸に響くから、この街に来た意味もあったのかもしれない。まだ少し続きますが、とても楽しかったです(自分の心を仮想化した感じだ)


タイトルはシュリスペイロフ。「水の中」、本当にきれいな曲です。狂おしいきもちになる
シュリスペイロフ、好きすぎる漫画『春と盆暗』の熊倉献とご対面 - インタビュー : CINRA.NET






誰かの好意に対して、わたしでなければならない理由を考えてみたら、ただそこにいるのがわたしだったから、ということしかなかった。心は軽くなったけど少し寂しいような。だけどやっぱり安心。



二年前のことを思い出す。好きなもの、当ててくれて嬉しかった。それだけでわたしでなければならない理由になった。

今でも一番好きなものは青だけど、あの日にきっとわたしは解放されたのだと思う。それまではいつも洋服のどこかに青が入ったものを着ていた。好きで着てたはずだけど、意地のようなものだったのかもしれない。でも、あんなに青まみれだったのに、誰も「青が好きなんだね」って言ってくれなかったんだよねぇ。そう、君がはじめて!





明日は大変な雨らしい。大丈夫かなぁ。


どこにいても、あまり変わらずにいると自分では思っているけど、きっと浮わついたり、いろいろ、あるんだろうな。テレビの生放送で見たトランペットの音、とてもいい音色だった。

柔軟でいたい。

さいしょのデートみたいに

楽しくやっています、今までとは違う街で。




ひょんなことから、二人でお出かけすることになった。美味しいご飯を食べて、お参りをしたりおみくじを引いたり、乗り物に乗ったり。

帰り際に、半日を振り返った。わたしじゃなくて、その人が。大人の男の人が、シンプルな絵日記みたいにその日の出来事を並べてくれた。楽しかった?って聞かなくても、たぶん楽しそうで、よかった。まるで、さいしょのデート。



朝に家をでると、ずっと住んでいた街とは違う空気。温度も日差しも違う。


志村正彦が、角を曲がったあとで消えないでと願ったのは、なんでだろうな。結局ずっと考える。特にこの街は、道端に咲く花もアスファルトで寝てる犬も眩しいから。



「ちょっと薄着だったね」と言ったお父さんに、「だいじょぶだいしょぶ」って、男の子が言った。きっと、お母さんの口癖だ。



心が震えるのは余裕があるからなのか、心が空いているからなのかな?





楽しくやってるといいな。


TEENAGER

そんな夜さ

 

いろいろなゴールテープを切って、宙ぶらりんのまま遊んでいました。楽しかった。こんな日がずっと続いたらそれはそれで悩み事が生じそうだけど、期間限定だからただ楽しい毎日。

 

 

 

最近改めて気づいたことは、わたしは日常のなかで好きな色や形を見つけることで幸せを感じる人間だということ。手に入れられなくてもいいから、なるべくたくさん目に触れられるといいなと思う。

 

きょう見た夕方の空はとてもきれいだった。話し込んで、外に出たらきれいな丸い月が浮かんでいて、幸せな日だと思った。なんだか今日は最後の日にふさわしいな、と思った。今日は学生として大学に行った最後の日。

 

新しい靴を履き馴らそうと思い、ついでに学生生活のうち1000日くらいを共有したゼミの同期のところへ行ってみた。恋人と3人で温かい飲み物を飲んだ。わざわざ3人でマグカップを洗いに狭いシンクまで行くと、一気にさみしくなった。 お話に出てくる別れみたいに涙を流したりはしないけど、確実に時間が過ぎていくなぁと思った。

振り返ると今年の1月は非常に長くて、3月なんて来るのだろうかと考えていた。それがもう4月なのだから、やっぱりわたし、気づいたらすぐにおばあちゃんになるな。生きていれば。でもきっと、この4月からはそんなに甘えたことばかりも言っていられなくて、時間が過ぎるのが長いこともたくさんあって、この、一瞬で過ぎた春休みのことを懐かしく感じるのかも。だとしたら尚更、こんなふうに過ごせてよかった。出かけようと誘ってくれるともだちがいて、家族がひとまず大病を患わずにいて、心のそばに恋人がいて、よかった。

 

 「たぶんまたすぐいつでも会えるけど」と言って3人で解散したあとで、同期がお土産を渡し忘れたからと言って、ほんとにすぐ再会した。さみしかったのは撤回しようと思った(だけどそのぶんやっぱり今さみしくなった)。大学に行けば誰かに会えて、話をして、そんなふうにこの2年間過ごしてきたのが終わるのは、やっぱりさみしい。むかつくこともいろいろあったけど。終わり際でさみしくなるのは人間の性質なのか、わたしの性格なのか、なんにしてもいやになっちゃうわ~。感傷癖。

 

 

 

いろんな人がいろんなことを言う事を知っている。それを忘れないようにしないといけないと思う。良いこと、正しいこと、間違い、常識、いろいろ聞いたり受け流したりする。考える。伝える。行動する。忘れない。忘れる。

 

よく考える。試行錯誤する。何のために生きていこう?って考えるのはだいたい暇なときだ。楽しく歩きながら考えたほうがラクなときもある。(歩きすぎたり暴走しないように、たまには立ち止まって考えること。)

 

 

何より、寿命を全うしたいなと思う。すきなひとがわたしの恋人で嬉しい。なるべく長く死なないように。わたしもきみも。心も体も。

 

 

 

大人になっても夜道を浮かれて歩くのかな?

 

そんな夜さ。

 

Climax Night

 


Yogee New Waves / CLIMAX NIGHT (New Version - Official MV)

悪い夢ならまだいい

足枷を僕はずっと探していたんだ

 

 

 スカートが聞きたくなる。暦がもうすぐ春だから!この街はまだまだ寒いです。

CALL

 

それでも、秋の寒さとは違って、ひだまりが暖かい気がする。たぶん残った雪のせいで、湿度が上がるから? 

 

 

 

うまく眠れないな。だんだん飛び立つまでのカウントダウンが残り少なくなっているのがわかる。大丈夫かな。困ったな。

 

 

とりあえずあしたね。

 

 

修了式。

180318 Sun.

計画していたすべての旅行が終わった。いろいろ考えていたことや思ったことがあったことは覚えているけど、それがなんだったのかもう思い出せない。




一緒に話したい人、考えたことを言いたい相手は人生を豊かにする。本当にわたしはラッキーだなと思う。


この間、偉い先生が退職するにあたって最後の講演があった。わたしのような適当なわかものにも優しくて、子供と話すみたいに接してくれる人で(研究の話になるとちんぷんかんぷんだったけど...)、年を重ねるほど精力的に新しい分野に関心を移しているのが伝わってくるところに憧れる。

その先生が、自分の経歴に関して何度か「ラッキー」という言葉を使っていたのが気になった。もちろん他人の目から見てもそれは「ラッキー」な仕事の舞い込み方だった。でも自分の人生のなかのいくつかの部分をそう評価するのはとても客観的なことで、大人が(もっというとおじいさんが)そんな風に言うとは思わなかった。ちょっと拍子抜けした。


ときどき自分の力だけでなにか出来たと思ったりするけど、必ずそこにはなにか他の力が働いていて、成功が妨害されずにすんだりしている。それをぜんぶ、「ラッキーなことだ」と思って、口に出してみると、じぶんはとても幸せな人間なんだという気がしてくる。保護膜のようなもので守られるみたいに。そうやって見えないバリアを増やしていく。

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泣かないでピーナッツ クリームになったピーナッツ

ピーナッツクリームになるのはやっぱり痛いのかな?



長いこと文章を書いていなかった。何回も書こうと思ったけど、少し書いてやめていたのは、書かない期間が空き過ぎてどんな風に始めたらいいかわからなくなったからです。

でもきっと、こんな日に再開するのがいいだろう。映画「好きだ、」のなかでも、好きと伝えられるのは事故のあとですから。(つまり、何か起きないと、物事は動かないことが多いよねってこと)



とはいえ最近は何も考えていない。話題が見つかりません。


そういえばこの前の帰宅途中(休日の昼間)、60センチ分くらいにメジャーを固定して歩いているお兄さんがいた。大きな公園のようなところ(メタファー)で。おしゃれな格好をしていた、アウトレットモールに行くときみたいな感じに。ちょうどいい長さのものを探してたのかな。

ねむくなってきたからおやすみなさい。
またすぐかきます。