青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

160127 Wed.

(弱音づくめ)


どうしよう。自分がいま誰が好きなのか、そればかり意識して生きてきたように思っていたのだけれど、急に気づかされて動揺している。もうそのひとはそばにいないのだ。どうしてわからなかったんだろう。


失っては偶然また会えたりして、本当に生きていくことは単純じゃないね。きのうよりマシになれてるかな。






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この王舟さんの横顔をみたとき、最近で一番「ラッキー!」って思いました。



「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
高良健吾が優しくて犬みたいで、なんでわたしはこんなところで引越しやさんにも会えずにくすぶってるんだろう!っていろんな意味で吹雪の帰り道のなか泣きそうになってしまった。このタイトルは本当に切なくて、でもこれで「思い出してきっと泣いてしまう」的な展開にならなかったら怒る。ぷんぷんって怒る(きっとそれもまた泣けるなと思いながら)。久しぶりに、俳優のひとに役を重ね切ってしまいそうになってる。盲目な視聴者だ。現実からはなれたいんだよー。


わたしが頑張ってないからあの人も振り向いてくれないのかしら。みたいなモードに入ってしまった。そしてそれはもう半年近く続いていて、抜け出せずにいる。どうしてまっすぐな気持ちよりもズレた愛のほうが熱量が強いような気がしてしまうんだろう。理科の記述問題で「ひだが多いと表面積が大きくなるから」みたいな解答があったのを思い出す。



本当は普通に大事にしたいし嫌われたくなさ過ぎる。


わたしの断片(文章や発言やなんでも)だけでも気に入ってくれたら、もうそれだけで十分なのだけれど、うまくいかないね。圧倒的に癒されたい。その反対は、誰も不快になりませんように。祈るばかり。ごめんね。謝ってばっかり。



でも好きだ。うん!とかそういう返事しかこなくても!でも好きってぜんぜん満たされないんだよな。胸はいっぱいになるけど。不思議な成分。まぁいいや。明日まででこんな自分おしまいにして、心機一転できますように。明日までは死ぬように生きるのだ。それでいいし、それもいいのです。心の中で博多華丸が強く言ってくれるので信じよう。「いいんです」そっか、いいんですね。



DONGURIでちくわパン買いたいな。可愛いお洋服で出かけて。
夢の中だけでじゅうぶんだったりするんだけど。



日記やめようかなってずっと考えてて。でもやめれてないんだけど。大体どこにいても日記は書けてしまうから。でも自分のなかで会話を進めすぎていて、他人と話すとき全然伝わんないの。困ってる。自分のなかではいつもすごく面白いけど、明らかに客観視したとき面白くないし。「ひとりでしゃべってるときのほうが面白いじゃん」っていうなぞの自信のせいで。


たぶん明日を過ぎると、どうでもよくなって、まただらーっと生きてけるんだろうな。絶対に、何も考えないことが幸せに一番近いと思う。その先でその空虚さに気がついて、絶望したりもするんだけれど。それも知ってるんだけど、でも、何も考えたくない。後も先も。いくら楽しいのだとしても。ずっとここに留まって、動かないままで、実現しなくてもいいようなこと、だらだら思ってたいだけなのにな。




そんなんだから、終電逃して歩いて帰ったりするんだよって、だれか叱ってくれないかな。だれも叱ってくれない。



大人は子供だったし、子供もいつか大人になるし、いつも同じ感覚で時間はすぎるのだ。それが運命。それだけが運命。




いよいよほんとうに弱音はおしまい。



(あなたがすきです もひとつの言い訳だし弱音なんだからね)