青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

さよーならできません

こんにちは!

何も終わってないけど、「文字をカタカタ打つ」という行為が恋しくて。あぁあ。うふふ。

(どうしてわたしは明け方にならないと集中できないんだろう〜)



「さよーならみなさん」をなぜかこのあいだ買った。

さよーならみなさん (ビッグコミックス)

さよーならみなさん (ビッグコミックス)


飛躍にくらくらしないのが西村ツチカというひと持っている技のすごいところな気がする。
好きになるという感情を分解してみるとすると、①安定感・穏やかさへの憧れ、②(淡々とした)つかみどころのなさに圧倒される、③単純にかわいらしくてきゅん!とする、に大まかにわかれます。
「くらくらする」というのはわりと②に属するとして、でもなぜか西村ツチカさんの漫画には、いい意味でくらくらしない。納得してしまう。どこがおかしいのかには気づいてはいるのだけれど、そういうこともあるなって、わたしは思ってしまう。(あなたはどうですか)


ていうか、「ずっと見ている」みたいなのに弱いです。きっとわたしは誰かにずっと見ていてほしいんだとおもう。愚かな欲でしょう?でも、安心してください、気持ち悪いから、「ずっと見ていてね」って好きなひとに言ったりしてないよ。だいじょうぶだとおもうな。

「さよーならみなさん」の最後のおはなし、ラストシーンの[それでも自転車の練習をふたりでしている]というカットが最高にときめいた。「李さん一家」の最後のカット(4人家族)と同じくらいのときめき。女子高生の気持ちがぜんぜんみえてこない。(さすがにくらくらしてしまう)


ありがとうございます。






大人にはどうやったらなるんだろう、と階段をおりながら考えていたとき、大きい人に対して「小さき人」(=子供か子供でないか)の存在が必要なのではないかと思った。「大人である」ということは、自分に対しての何かではなく、他者のなかで生じる役割のひとつなのだ。気がつくと大人になっている。大人になりたい/なりたくない、という自分の気持ちとは無関係なもの。ではその「小さき人」というのは何者なのか。小さいってくらいだから、きっと守るべき対象です。何かを守りたい、守らなくてはならない、となったときに、人はもう「大人」である、ということなのかもしれない。ちょっとしたわたしのいまの結論。

ということで、わたしには何か守りたいものはあるんだろうか?と考えてしまうことは自然な思考だった。守りたいものなんてなかった。守られていたいという気持ちも(何かに守られているからこそかもしれないけど)なかった。でも、その「守る」という行為について思いをめぐらせたとき、「離れたくないな」とおもう人がいることに気がついて、急に涙が出た。
「恋人になって」っていえばいいのかな。でもちょっとちがう。わたしは恋人にいろいろな役割を求めすぎてしまうから、これはだめ。結局何も言わずにいつかさよならするのかな。





わたしはたぶん追い詰められている。

・現実に起き得ることばかりを夢のなかで見ていて、夢なのか現実なのかよくわからないことが多くなってきた。あまりに「そんなこと、起きてないよ?」って言われすぎて、可笑しくなってくるくらい。夢をよくみている。じぶんがいまどこにいるのかわからないなんてこと、あるわけないとおもっていたけど、実際にあるんだなって、たぶんちょっと経てば治るだろうっておもってる

・前に書いたか忘れたけど、夜眠るときに目をつぶると、300畳くらいの大きな部屋にいる感覚がして、こわくて眠れなくなる。本当にこわいからいろいろ調べて「不思議の国のアリス症候群」にたどりついたのだけれど、別に名前がついたからといって治らないから困ってる。さらにちょうど今、文字をパソコンで入力しているのだけれど、ノートパソコンがめっちゃ遠くに感じる。自分が遠くなっているのかな。感覚がおかしい。いまのこの状態はちょっと面白いからまぁいいけど、夜はこわいからどうにかなりたいな





Akron/FamilyとJim O'Rourkeをすごくきいてる。



春先の森は生きているのときにAkron/Familyの「When I was young」がかかってたのがすごくよくて、不定期に聞きたくなる。知らなかったけど、北海道で作った曲があるんですね。

長い髪に眼鏡をかけて帽子をかぶるのがこんなにしっくりくるひとはいなかったです。




趣味の偏りを広げたい。

そのまえにまずはやるべきことやりましょう。ね。



もう飽きてきたからさようなら!