青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

君の香りが残るマフラー

「予測候補」が可能なもので物語を書くと、やっぱり自分の意識を超えたものが出来上がるんだろうな。なんとなくだけれど、iPhoneからブログを更新するときと、パソコンを使って書くときとでは、だらだら度合いが少し違うような気もする。




過剰な被害妄想により、匿名でやっているブログもツイッターtumblrも知人たちに見られているような気がしてきた。風邪が治らない。おもたい風邪です。たとえ見られているとしても、ここに関してはたぶん恥ずかしいことも言っていないような気もするので、ここの更新だけは気が向く限り続けたいと思います。


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前の記事にも動画を(自分がクリックして見たいから)貼り付けてしまいましたが、トロイメライ、が本当に好きだ。春も夏も秋も好きなのですが、冬になると更に付加価値がつく。「灰色の世界」というのが、勝手に吹雪の一日みたいに感じられるからだと思う。

クレジットを見たときの記憶では、この曲だけギターのひとが違ってたはず。それはきっとシュリスペイロフの好きなところに良くも悪くもそれほど影響していないのかもしれないけれど、この曲に寄り添うように飾られたギターの音の粒がとても好き。3拍子だからなのかな、空をゆらゆら、せわしなく(相反する言葉だけれど、ほんとうにそんなかんじ)おどっているイメージがある。この曲はものすごく「たくさんのひとに聞いてほしい」と言う気持ちと「本当に素敵で自分の宝物みたいだからこれ以上のひとには知られたくない」いう気持ちで、わたしを忙しくさせてくる。というか、勝手に忙しくなっている。

これ以上なにをかけば、いま、わたしがどんなふうに好きなのかを書き残せるのだろう!誰かの共感を得るような言葉は必要ない。心を保存して後からそのまま取り出せたらいいのに、と思う。そのときはどれだけの保管場所が要るのかな。わたしは大人になったいまも、心の実体積の大きさを妄想する。

好きなものは、言葉にするほど自分を通り抜けて掴めなくなっていく感覚が増す。それでもわたしは言葉でしか考えられなくて、言葉でしかとどめておけないから、自分の中と外から必死で探すのだ。つなぎとめるように。何を。世界とわたしを。わたしとあなたを。(わたしとわたしを。)



それにしても、自分から自分に対して(そうではないときも)文章を自分で作っていくたびに思うのですが、「と思う」とか「と感じる」、「気がする」という表現が、もっとあってもいいとおもう。いや、いっそ使わないほうがいいのかな。足りなくて困る。曖昧な気持ちばかりだから、そういう動詞でぼやかしてしまう。でもそれは一番適切だとも思う。だからこそ、同意表現がもっとほしいです。



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こんにちはとごめんなさいの間を埋めるように、狭くて深い溝を進むしかなくなってしまう。


「さびしい」と叫んでみたけど、そんなにさびしくなかったりする。自分の声の大きさや本当の心に動揺しているのに気づいたやさしいひとが近づいてきてしまって、それはそれで困惑して。でもとまどいをみせるのも相手に失礼だとおもって、というか単に弱っていたものだから一緒にいてはみたのだけれど、人と形式だけでも平行になってみたことがいままでなかったものだから、どうしていいかわからずにいる。始まったのか、続いていくのか、終わったのか、無の状態なのか。違和感があることは確かで、けれどどんな感情でいればいいか見極めることが出来ない。


困っています。どうしよう。好かれるのも好きになるのも疲れてしまった。疲れてしまったと思うほどのことは、世間からしたらないのですが。わたしの受け入れることの出来る範囲を超えてしまった。きっと、何も存在しないところで「好かれたい」「好きになりたい」と夢想をしているだけが性に合う人種もいるんだとおもう。生身のなにかとの関わりの素晴らしさは想像でしかないけれど、「手に入れられたらいいな」と願うだけのものであって、手に入ると逆に困ることが判明した。(しがないネットのニュースみたいな文章になっちゃった)


とはいえ、「飽きる」という感情は怒りや嫉妬と同じ類でくくられて、絶対値の大きな負の感情なので出来る限り触れたくない。「飽きられる」なんて、ダメージが大きすぎる。そんな八方美人、、というか自分へのダメージを配慮しすぎてしまうわたしが持つべき最善策は何なのでしょう。




「重力ピエロ」の映画の中で、どう考えても妙な髪の毛の小日向文世が神様に相談するシーンがあるでしょ、あれをときどき思い出すんだけど、神様は「自分で考えろ」って伝えてくるじゃん。というか、そう感じ取るじゃん、妙な髪の毛の若い設定の小日向文世は。
わたしもおんなじ面持ちで「神様、」とつぶやくんだけれど、何もいないみたいなの。何も感じ取れないし、たぶん何もいないの。これって、わたしが悪いんだろうか。そうだよね。それとも、小日向文世がトクベツなんだろうか。ていうか、べつに小日向文世じゃないんですけど。役なんですけど。





とはいうものの、数学的に考えると何千分の一、という単なる日々なわけです、あんまり考えたり、感じ取りすぎたり、していても疲れてしまうだけだし、とはいうものの何も考えなかったり何も考えていないフリをしたりというのも、これまでたくさんの災いを引き起こしてきたわけなので、ああ、どうすれば。いいえ、このままでいいのでしょう。すべて。うだうだ結局これでいいのかな、あぁあ、ってなる結末と、このようにして「このままでいいや」と結論付けてしまう状態もふくめて、いいです。このままいきます。





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会えたら元気になれる人、はウルトラCだと思ってるから、ここぞというときだけに会いに行くこととします!我慢。




ばいばい。