青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

ゆらゆら空を渡る

あけましておめでとう。

 

 

おひさしぶりです。お元気ですか。わたしは変わらないままです。

 

 

ふと気がつくと、色のない人間になっていました。いろんなものを見て、からだじゅう、色とりどりのはずが、来ている洋服も持ち物も暗い色ばかり。困ったなあ。と呟きながら笑っている。とげとげしながら笑っています。

 

 

今年はきっと忙しくなるのだけれど、それはわたし次第であって、ぼーっとだらけてしまえばまた間延びした1年になるはず。

 

 

大森荘蔵ブームが来てしまったので読みます。

思考と論理 (ちくま学芸文庫)

 

わたしは頭のなかに知識を取り入れて、咀嚼して別のものにその欠片を直接注入するようなことに熱中できない。そこには驚きが少ない気がしてしまう。それなら何もしなくていいや、と思って、またお昼頃まで寝ています。そんな生活ばかりしているわけにもいかないので、何も考えずに本屋さんに行きました。

 

年末は何か買いたくて仕方がなかった。何でもいいから、心が弾む何か。ひとつでいい。小さくてもいい。

とはいえ流星は熱くて早くて重くて手では掴めません。月もきれいだけど、実際に保持してしまえばただの塊。地球の衛星だからこそミステリアスで美しいのです。くどいですが続けますと、海の水も掬ってしまえばあの透き通る青はもう戻ってきません。

 

結局ノートだけ買いました。ほしいノートはもうすべて廃版で、わたしは時代に適応できてないな、と寂しい気持ちになった。でもこの小さな寂しさは、わたしの心を満たしました。不思議と充足感を得ました。あぁわたしは寂しい、と思うと、心の重みを感じました。そんな感じ。そんなふうに1週間くらいが過ぎました。

 

大森荘蔵は物理や数学にも明るくて説明の仕方が面白い。いまの印象はそんなふうです。山の奥の足湯でおしゃべりなおじいさんに会った時に似ている。ラッキー。!

 

 

 

 

正しさはわからないけど、わたしは今まで、家族って遠く離れても平気なものなんじゃないかなって思ってました。というか、恋人だとしても一緒にばかりいると飽きてしまうものなんだな、好きって気持ちなんて風邪みたいなものだなって考えてた。だから鮮やかで目まぐるしい場所に身を置いて、忙しくしながら死ぬのを待とうとしてた。

 

でも今は、ちょっと違うのかもしれないな、と思い始めたところです。ずっとそばで眺めていたくなる人を見つけたみたい。こんなこと、言葉にして残しておかなくてもいいのだけれど、いつか忘れてしまうかもしれないから。

優しいときは嬉しいし、面倒なところも、振り回されたい。目まぐるしさを景色に求めていたのだけれど、この人のとなりにいれば、わたしがくるくる回っていられる。なんてことを、いまは思っています。

 

 

インプット/アウトプットへの願望が交互にやってきて、季節みたいに。いまは、アウトプットが必要なんじゃないかと考えてる。というか、手軽なインプットをし過ぎたんじゃないかという気がします。両方並行出来ればいいんだろうな。

 

 

計画してそれを実行してみたいです。2017年。

頑張りましょう。頑張ります。

 

 

 

スピッツの幻のドラゴンをよく聞いてる。君に夢中で泣きたいくらいなんです。いつか覚めるとしても!