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青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

君の住んでる街は冬の色ですか

まいにち

もう暦の上では春だというのに、雪が積もった。秋の終わりでもなく、まるで真冬のような天気。心模様もちょっとブルーです。

 

タイトルは、きっといつかの酔った日にでも書き残したであろう、下書きのタイトル。季節外れですが、なんとなく今日に合う気がしたので。わたしの街は冬の色です。この日記は、わたしからわたしへの手紙なのだ。だからこそ、このタイトルは今日にぴったりだと思う。

 

 

 

気分があまりに落ち込んでしまったので、お金を払って自動販売機であたたかいカフェオレを買ってみた。Lampのさち子を聞きながら飲んだ。そしたら友達がやってきて、少しおしゃべりをした。

でも気分が落ち込んでいるので、しゃべった時間がもったいないと感じたり、カフェオレのお金がもったいないと感じてしまった。後ろを向きながら前に進むのは、体にも負担がかかるし、ただでさえ前を向けないことに後ろめたさがあるのに、体に負担がかかるとさらに自分を気落ちさせる。

 

だから、そっと目をつぶって、優しい人のことを思い出してみる。面白い人。会ったらにやにやしてしまう人。たくさんの、わたしの好きな人。

いま目をつぶってすぐに思い浮かんだ人は、好きなカタコトを話す人だ。声と、言葉の選び方と、間がとてもよくその人に合っているとおもう。だから、英語だとちょっと厳しいような気がする人。でもその人のことが好きです。寝ぼけながらその人の顔、思い出して優しい気持ちで眠った、あの日の多幸感を思い出す。そうやってちょっとずつ、わたしも生まれ変わる。

 

 

今日は、音楽にも、生活にも、友達にも、罪はないので、自分を責めようかとおもったけど、ちょっとそういうわけにもいかず、不器用に、タイミングのせいにするしかない。それがわたしがこれから上手に生きていく策略のひとつになるのだとおもう。それを自分に活かせたら、いつか他人にも心からそう助言してあげたい。だって中原中也も、言ってるでしょ、人と話が合うも合わぬも所詮は血液型の問題ですよって。

nakahara.air-nifty.com

 

この、「断片」という詩がとても好きだ。この詩を初めて読んだころ、わたしはあこがれていた人がこの世を去ったことに、何の意味があるのかを考えていた。時間がたって、悲しみは薄れたけれど、不思議な喪失感が消えなくて、中原中也の詩をよく読んで眠った。

 

中原中也の詩に感じる「距離」は、やはり、おそらく語尾が丁寧語であるところが大きくて、でもそれだけでない、靄のかかったような遠さを感じるのは、なぜなんだろう。いつもわからない。結局今もわからない。わからないから、憧れ続ける。サカナクションの山口さんも、たまに使うでしょう?丁寧語。でも、中也のそれとは、やっぱり違うんだよね。

 

 

 

 

久しぶりに誰に宛てるでもない、他人の「自分への日記」みたいのをいくつか読むことができて、わたしは嬉しい。本来、私はいまとても幸せなはずなのだ。「よかったね。」「よかったよ。」

 

そういえばこれ、わたしはずっと宮沢賢治の「やまなし」の台詞だと思ってたんだけど、今調べたらあまんきみこの「白いぼうし」でした。改めて読むと、素晴らしいお話だ。こんな優しい物語、わたしのなかにもあればいいのに。ずっとこっそり心の中で味わってたい。

 

 

なんだか書いているうちに、幸せなんじゃないかって気がしてきたので、この辺でおしまい。