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青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

「考えすぎだよ」って あなたは笑った

すごい速さで過ぎるなぁ、と眠る前におもう。1日が。

でも日中のふとした時、「時間が経つのがおそいなぁ」って思ってる。



言語化しないと気持ちがわからないから、最近思ったことを列挙してみます。




・このまえ急にわたしは怒った。気持ちの向きに身をまかせて、怒った。ひとつの事柄についてだけ述べながら、相手を責めたけれど、本当は違う。
その前までの積み重ねの爆発だった。ちょっとしたことが全部嫌で、全部にわたしは怒った。全然伝えられてないけど、そうだった。
わたしは、解散や中止や脱退や活動休止や逝去が本当に嫌で、無理にでも一緒にいてよ、仲良しでいてよって思ってしまいがちなのだけれど(死んだら無理だけど)、自分のことになるとやっぱりそうじゃないことばかりだし、一緒にいることで幸せになれないこともあるし。
きっとこの世には様々な離婚原因があるのだろうけれど、多くは積み重ねってことなんだろうな、とおもいました



・その「幸せかどうか」っていう基準の定め方について。日本国外でも売れてる片付けのエキスパートのひとが「それを捨てずにいる自分が幸せかどうか」みたいなことを言っていて、納得した反面、難しいなって思って。
そのひとの話を聞きたいひとは、片付けられない=物を捨てられないみたいなところがあるから、いいとおもうしそのひとの話も素敵だったし。
わたしは物をためておくことが苦手だから、捨てられないという気持ちがなくて、辛いかもしれないけど仮に家が火事にあって一生後悔するような価値を見出せる物が特にない。廃盤になったCDとかは辛いかもしれないけど、最悪音源はどこかしらで手に入るしな、って、そんな感じで全部おわっちゃう。
それがあるから幸せな物、というのは、手に入りやすいものばかりな気がする。好きなパン屋さんのシフォンケーキTSUTAYAさんのレンタルCD。学生のときにたくさん手にとって汚れた文庫の「檸檬のころ」とかはどこにも売ってないから失ったらちょっとさみしいかもしれないけど。でもそれは別に、記憶の中に残ってるしなぁ。



・わたしはもうだれかと自然に、意識なしで会話をしていたことを思い出せずにいる。意識をして話す、ということは、伝える前に自分に語りかけていることで、結局のところ、わたしはいつもわたしと話し続けている。


「複雑に考えすぎだよ」って君は言った、



・舞台上の二項対立を、下から、パイプ椅子に腰掛けて、ぼんやり見てる。痛い、痛い、痛い。意見が、声が、感情が、表情が、痛い!ちくちくちくと、痛い。右にも左にも、その間にも居られないわたしは、ただ痛いのだ。





そろそろ憧れのあの人に連絡してみよう。