青のなかをもぐる

オノマトペだけで通じあえたらいいのにね

星になれた

13:42、家の最寄駅。もうすぐ出発。こんな時でさえ、帰りちゃんと帰ってこれるかどうかばかり考えている。こわくて、いっそ行けなければいいのにと思ったりする。
この考え方をどういう風に変えていけばいいのかな、と思ったりもする。別れがこわくて出会えない。おわりのことばかり考えているのだ。


駅に留まるとすぐ他人の会話を聞いてしまう。可能性のことを考える。可能性は多く持てた方がいいのだろうか。
「これエンシュウって読むんじゃないんだ」「演繹?なにそれ」「エキって顔してないよね」「腹立つ」昼過ぎに電車の中にいる女子高生2人。こんな人たちまだいるんだ。「マジで顔がキモいから死ねって感じ」00年代で滅びたと思ってた。「カラオケに明け方までいるのなんてうちらくらいじゃない?」「頭おかしくないと出来ないよね」
便利な時代は生活と正解が近い。と同時に、個人が各々の正解を持つこともまた、簡単になる。街が正解だらけになる。溢れた正解は目に見えなくなっていくくせに、触ると怪我をしたりする。

わたしはもしかしたら、可能性がゼロに近い方が頑張れるし得意かもしれない。




この街はもうすっかり真冬のようで、生きてるだけで眠くなったりしている。猫になって猫が好きなあの人の部屋でぬくぬくしたい。部屋が広いから、ぬいぐるみ置いたりしてるって言ってましたね。そうゆうところも好きです。猫になりたい。


いつかの虹。


この写真を撮ったすぐ後に、地球の反対側にいるはずのあの子から虹の写真が送られてきたことを思い出した。思い出すようじゃ、まだまだ好きってことだ。