足枷を僕はずっと探していたんだ
スカートが聞きたくなる。暦がもうすぐ春だから!この街はまだまだ寒いです。
それでも、秋の寒さとは違って、ひだまりが暖かい気がする。たぶん残った雪のせいで、湿度が上がるから?
うまく眠れないな。だんだん飛び立つまでのカウントダウンが残り少なくなっているのがわかる。大丈夫かな。困ったな。
とりあえずあしたね。
修了式。
計画していたすべての旅行が終わった。いろいろ考えていたことや思ったことがあったことは覚えているけど、それがなんだったのかもう思い出せない。
一緒に話したい人、考えたことを言いたい相手は人生を豊かにする。本当にわたしはラッキーだなと思う。
この間、偉い先生が退職するにあたって最後の講演があった。わたしのような適当なわかものにも優しくて、子供と話すみたいに接してくれる人で(研究の話になるとちんぷんかんぷんだったけど...)、年を重ねるほど精力的に新しい分野に関心を移しているのが伝わってくるところに憧れる。
その先生が、自分の経歴に関して何度か「ラッキー」という言葉を使っていたのが気になった。もちろん他人の目から見てもそれは「ラッキー」な仕事の舞い込み方だった。でも自分の人生のなかのいくつかの部分をそう評価するのはとても客観的なことで、大人が(もっというとおじいさんが)そんな風に言うとは思わなかった。ちょっと拍子抜けした。
ときどき自分の力だけでなにか出来たと思ったりするけど、必ずそこにはなにか他の力が働いていて、成功が妨害されずにすんだりしている。それをぜんぶ、「ラッキーなことだ」と思って、口に出してみると、じぶんはとても幸せな人間なんだという気がしてくる。保護膜のようなもので守られるみたいに。そうやって見えないバリアを増やしていく。
ピーナッツクリームになるのはやっぱり痛いのかな?
長いこと文章を書いていなかった。何回も書こうと思ったけど、少し書いてやめていたのは、書かない期間が空き過ぎてどんな風に始めたらいいかわからなくなったからです。
でもきっと、こんな日に再開するのがいいだろう。映画「好きだ、」のなかでも、好きと伝えられるのは事故のあとですから。(つまり、何か起きないと、物事は動かないことが多いよねってこと)
とはいえ最近は何も考えていない。話題が見つかりません。
そういえばこの前の帰宅途中(休日の昼間)、60センチ分くらいにメジャーを固定して歩いているお兄さんがいた。大きな公園のようなところ(メタファー)で。おしゃれな格好をしていた、アウトレットモールに行くときみたいな感じに。ちょうどいい長さのものを探してたのかな。
ねむくなってきたからおやすみなさい。
またすぐかきます。
葉っぱが散って木が冬の準備を始めたな、と思っていたら、急激に寒くなった。おじいちゃんちにいくとストーブがついていた。水道水を口に含むと冷たかった。秋の洋服は枯葉みたいな色ばかりで少し苦手だ。冬がはじまったことがうれしい。暑くてイライラすることはあるけど、寒いときは頭が冷えて怒らずにすむ気がする。
今年は紅葉がとてもきれいで、例年より秋が長かったような気がする。10月はおいしいごはんをたくさん食べました。
必要な情報ってなんだろう?と考えている。テレビを見なくなったかわりにインターネットをよく使うようになった。テレビを見ることは受動的な行動であるかわりに、インターネットは自分の必要な情報を自分で調べるから能動的な使い方が出来ると思ってたけど、最近はインターネットに時間を蝕まれている気がする。することがなくなると考え事をしているので、たぶんいまはアウトプットが必要な期間のはずなのだ。
何かを新しく買うことで、心が満たされるわけではないな、とも思っている。新調した後、古い型のモノの行く末のことを考えると落ち込んでしまうから。ここにはきっと、在るものしかないです。
いろいろな意味で、「必要なもの」ということについて考えている途中です。
Internet Explorerではてなブログを開くと非常に重くて、「記事を書く」を押しても3分くらいページが移らなかったので、ずっと書いてませんでした。一年前を振り返りませんか?というメールが来て、自分が昔考えていたことを残しておけることはとても貴重に感じたので、この機会を失うのはもったいないと思いました。Chromeを使うとすんなり開けたので、もっと早く思いつけばよかったなって思ったけど、今までがあるから今がある、みたいな偉人の言葉を思い出して後悔するのをやめた。これからもブログは続けます
とはいえ、確実に自分のなかから言葉が発生しなくなっているのを感じる。前はきっと、言葉が恋人で、ずっとおしゃべりしていたんだと思う。
メロディで言葉の意味が変わってしまうような瞬間が好きだ。歌はすごいとおもう。(わたしはこの歌という文字が苦手だ、左の可がふたつ積み重なっているのが目みたいに見えるから。Songという単語は素敵、Sunにも聞こえる)
耳に聞こえた雰囲気しか感じ取ろうとしていないので、歌詞をじっくりみたときに驚くことがある。中学生くらいまでは歌詞カードを読むのが好きだった。今はなんだかどうでもいいなと思っている。実際はどうでもよくない、むしろ言葉に対して昔よりも敏感になっていると思う、ただ耳ざわりでその言葉が適切かどうかすぐに判断できるようになったのかもしれない。言葉は自分のなかを通り過ぎるものではなく、自分のまわりに漂うものになったのだと思う。
タイトルを見てすぐに曲を思い出せるほうがいい。そうじゃないのも、味わい深くていいけど。浸透してしまえば。スピッツの「ロビンソン」がとても好きです。あれはもう、ロビンソンだよね。
中学生のころは土曜の朝に3冊くらい本を読んでいたなと思いだした。だんだん映画のほうが好きになって、今は一番写真が好きだ。
昨日の夜に食器を洗いながら、その理由を考えていた。読書は点を線でつなげていくのに似ている。読み終わると大きな絵ができる。わたしはそれが読書の醍醐味だと感じていたから、だんだん長編よりも連作短編集などを読み漁るようになったんだなと腑に落ちた。
映画には映像があるから、活字よりも視覚的な情報が増える。与えられた一面から、立体が出来上がっていくみたいに。目で追って頭で考える作業がいくらか少なくなる分、頭の中で、心情を感じ取る幅が広がる。色や形や音は、受け手へ届いたときの広がりが多いという意味で、詩よりもさらに詩的だと思う。
今、写真が好きな理由は、説明が一切(ほとんど?)なくて、得られる気持ちが自分だけのものであるような気がするからだ。写真は映像の一瞬を切り取っているものとも思える。点だけが与えられる。次の瞬間は自分の世界でだけ答え合わせができる。
何について書こうとしていたわけでもないのに、ブログを書き始めるとなにか思いつくから不思議だと思う。自分のなかには常に何かを書きたい気持ちがあるのだな、とおもうと嬉しい。
またね。
もう終わりなの?まだ踊っていたいのに
この青のなかをもぐる、というページなのですが、最近更新する気が起きず、もう閉じてしまおうかって思ってました。
青というのはわたしの大好きな色で、魚にとっての海水のようなものだったのだけれど、もうわたしは青のなかにいないな、と気づいてしまった。すきなものに何も変わりはないはずだけど、わたしは明らかに生まれ変わってしまったのだ。もうわざわざ青を選んだりしない。対照色も補色も好き、どの色もいとおしくてたまらなくなった。色は季節で、音楽で、止まらずに続いていく。青の持つ神秘的な力がもうわたしには認識できなくなってしまった。それだけの年をとってしまった。
いま欲しいものは、植物図鑑。祖父母の整える庭が美しくて力強くて素晴らしいな、と思ってからずっと気になっている。いつかわたしだけの庭を持ちたい。
平屋の慎ましく荘厳な一戸建てに住みたい。最近は欲張りでいろんな理想を放し飼いしている。そばにずっとあの人がいればいいなと思う。それだけでいいな、それがとても難しいことなのだろうな。と思う。からだの調子を均して、出きるだけ穏やかに長く生きたい。
結局まだわたしは青のなかにいるはずなのだ。青のなかから抜け出したと思っているこの状態こそが、青のなかをもぐっている証拠。うふふふ。
一人で研究し続けることってとてもむずかしいだろうなと思う。何かを発見して、その学問の言葉で記述したあとで、人に見てもらってフィードバックを受けなければ前に進みにくい。
わたしは誰に宛てるでもなく、時間が空けば文章を書き続けられるような気がしているけど、そんなふうに勉強も続けられる人もいるのかもしれない。良し悪しはわからないけど、そういうものが存在しているだけで、生きていけるとわたしは思うのだ。
例えば、洋服の、自分しか見えないような裏地にこだわりを持つだとか、そういう類の話だ。
他人の介入など構わない、もしくは気づかないような個人的なこと。
何年か前までは、頭のなかが自意識でいっぱいだったような記憶がある。だからきっとこんなふうに、ブログみたいなものを作ったのかもしれない。わたしはいろんな気持ちをすぐに忘れてしまうのが惜しくて、いろんなところに真っ白なノートを置いておきたかったのがいちばんの理由だけど。
ずっと、無意識でただ「ここにいる」ことに夢中でいられやしないかと、憧れていたんだった。邪推や後悔すべてを考慮に入れずに、時間を過ごしたかった。
この一年近くは、やわらかい日差しの中で優しい風を受けているような、心地よい気持ちでいきている。心の中から何かが消えるのはいつも突然で、気がつくといなくなっているような感じ。恋も泡も。意識しないことを意識しなくなったんだろうな、と思う。
とはいえ来年になったらまた生まれ変わるんだろうな。きっとそれも楽しいけど!
ともだちのまっすぐな眼差しがとてもよかった。オレンジのペディキュア、夏いね